教育についての自由論文と単元開発

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    1)自由論文「総合学習の是非」
    ゆとり教育の一環として、学校では様々な総合学習の取り組みが行われている。その代表的な例が課外活動だ。小学生が自然に触れるために、実際に農地へ赴いて農業を体験したり、中高生が経済の仕組みを理解するために商店経営を体験したりすることは、机上の勉強よりも実践的であると奨励されている。しかし、報道によれば、文部科学省はこの総合学習が他の授業時間を奪ってしまっており、学力低下につながっているので、削減するかどうか検討を始めているようだ。一方、総合学習が本当に学力低下の原因と断定できるかどうか判らない、という批判的意見も出されている。確かに、導入されてまだ三年弱であり、効果の程が明確に言えるだけの時間が経ったとは思えない。
    総合学習は、その理念はもっともなものである。この理念が現場で活かされれば、子供の学力は伸びると思う。しかし、その授業を成立させるためには、教える側に高い技量が求められる。そのため多くの教師達は、この理念に追いつけない、つまりこの水準に達する事が困難なのではないだろうか。私がこのように考える根拠は、手っ取り早く問題を解く(解かせる)事を主眼とした授業を展開しているだけの教師が多いと思うからである。普段このような授業ばかりしている教師達に、急に総合学習の授業を組み立てろと言っても、土台無理な話である。子供達にも同様のことが言える。ほとんどの子供達が、問題を解かせればそれ自体が目的になってしまって、解く事によって何も理解しない(理解しようとしない)、というのが実態である。これでは総合学習の授業から何かを学び取る(学び取ろうとする)とは考えにくいだろう。このように、現状では教える側も教わる側も共に即物的であり、すぐに結果の得られない抽象的なものには価値を見出せなくなっている。

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    教職科目 4学期末レポート
    1)自由論文「総合学習の是非」
     ゆとり教育の一環として、学校では様々な総合学習の取り組みが行われている。その代表的な例が課外活動だ。小学生が自然に触れるために、実際に農地へ赴いて農業を体験したり、中高生が経済の仕組みを理解するために商店経営を体験したりすることは、机上の勉強よりも実践的であると奨励されている。しかし、報道によれば、文部科学省はこの総合学習が他の授業時間を奪ってしまっており、学力低下につながっているので、削減するかどうか検討を始めているようだ。一方、総合学習が本当に学力低下の原因と断定できるかどうか判らない、という批判的意見も出されている。確かに、導入されてまだ三年弱であり、効果の程が明確に言えるだけの時間が経ったとは思えない。
    総合学習は、その理念はもっともなものである。この理念が現場で活かされれば、子供の学力は伸びると思う。しかし、その授業を成立させるためには、教える側に高い技量が求められる。そのため多くの教師達は、この理念に追いつけない、つまりこの水準に達する事が困難なのではないだろうか。私がこのように考える根拠は、手っ取り早く問題を解...

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