佛教大学通信「日本の歴史」
第2設題
「初期議会から日清戦争後にかけての政党について」のレポートです
はじめに
明治初期の自由民権運動の高まりを背景にして、国会開設を求める声がたかまり、一八八一年(明治一四年)には国会開設の勅諭がだされた。一八九〇年までに国会を開設することが定められ、実際にその年に最初の議会が開かれることとなる。こうして日本においても「公議世論」を尊重する立憲制が確立されていき、人々の政治参加が制度化されていった。このようにはじまった日本の初期の議会政治は、実際どのようなものだったのか。本レポートでは、初期議会から日清戦争後にかけて頻繁な離合集散を繰り返した政党の動きに注目しつつ、これを記述することを試みる。
一.総選挙と初期議会
一八九〇年(明治二三年)に第一回衆議院議員総選挙が実施された。旧自由党系は大同倶楽部、再興自由党派(大同共和系)、愛国公党系の三派にわかれ、改進党系勢力と争った。そして七月の総選挙では旧自由党系勢力の勝利となる。総選挙直後、立憲自由党が再興され、旧自由党系三派は合同し、これに所属する議員は一三〇人、立憲改進党四一人、あわせて一七一人が民党系の議員となる。これに対して吏党系議院は、大成会七九人、国民自由党五人、無所属四五人の合計一二九人と...