「マス・フットボール」は地域共同体の同胞意識の上に成り立つ、地域民衆の「身体文化」、「儀式化された民俗競技」単純に言えば「祭り」と言えるものであり、また「近代フットボール=サッカー」の起源とされているものでもある。
「マス・フットボールの歴史」
中世以降のイギリスでは、各地で「フットボール」と称される様々な形式を伴った球技が行われていた。これは総じて「マス(mass:群集)、民衆、民俗、ストリート)・フットボール」と一括した呼称を与えられているものである。この「マス・フットボール」は地域共同体の同胞意識の上に成り立つ、地域民衆の「身体文化」、「儀式化された民俗競技」単純に言えば「祭り」と言えるものであり、また「近代フットボール=サッカー」の起源とされているものでもある。
「マス・フットボール」とは、数百人から数千人という大人数の男性が村ごとに、または教会の教区ごとに2つのチームに分かれて対峙し、一方のチームは「町外れの教会の門」まで、そしてもう一方は教会と正反対の場所にある「木の根元」や「粉挽き小屋の水車」までというように、それぞれのゴール地点を決めて、一つのボールを蹴ったり投げたりしながら、どちらかのゴールまで早くボールを持っていったほうが勝ちというルールで競われたものである。「ルールらしいルールはなく、ボールを抱えて走っても、投げても、蹴ってもよかったし、どうやって相手を止めてもよかった。...