1、本著を読もうと思った理由
教育学部に進学する以前であるが、斎藤環著『社会的ひきこもり』を個人的な興味があって読んでおり、精神科医−斎藤環の名前を知っていたこともあって、本著を選んだ。現代の若者は概して「大人になる」段階で躓くことが多いという状況、思春期というか青年期が長期化しているという状況に私はかねてから、個人的な意味で関心を持っていたのである。それはすなわち、自分自身が対人関係に困難を感じやすく回避的で、周囲の友人にもそういった傾向の人が多かったということであるが。何となく苦しいという感情や恒常的に感じる生きにくさを個人的なレベルで内情的に留めておくのではなく、臨床の現場からの視点を取り入れることで、ひきこもりのメカニズムをとりあえずは「知る」ことが必要だと思ったのだ。メカニズムを知るという行為は、背後に「自分と同じような連中がいる、もっとひどい奴もいるんだ」という陰鬱な影を落としていることも、当然自覚している。差異を作り出して、「あいつらとおれらはあくまで違うのだ、おれらの方がましだ」という構造が、被差別者の中での差別行動を起こしていることは悲しいことだが、現実である。
社会学において対象へのアプローチをする場合、当事者意識を持ちすぎることは学問性、実証性の瓦解への危険性を高めることになるが、「我々」と「彼ら」という線引きを自明的にした上で研究することは一方で、既存の社会的構造を疑うことなく受け継いでしまうことになりかねないのではなかろうか。今回の若者のひきこもりというテーマに対して、的確な距離感を保ちながら、著書に書かれた知見の要約及びそれへの考察を試みたいと思う。
2003年度 社会学特殊講義「ポスト青年期と家族・雇用・シティズンシップ」
<期末レポート 選択課題図書> 工藤定次・斎藤環著『激論!ひきこもり』ポット出版
1、本著を読もうと思った理由
教育学部に進学する以前であるが、斎藤環著『社会的ひきこもり』を個人的な興味があって読んでおり、精神科医-斎藤環の名前を知っていたこともあって、本著を選んだ。現代の若者は概して「大人になる」段階で躓くことが多いという状況、思春期というか青年期が長期化しているという状況に私はかねてから、個人的な意味で関心を持っていたのである。それはすなわち、自分自身が対人関係に困難を感じやすく回避的で、周囲の友人にもそういった傾向の人が多かったということであるが。何となく苦しいという感情や恒常的に感じる生きにくさを個人的なレベルで内情的に留めておくのではなく、臨床の現場からの視点を取り入れることで、ひきこもりのメカニズムをとりあえずは「知る」ことが必要だと思ったのだ。メカニズムを知るという行為は、背後に「自分と同じような連中がいる、もっとひどい奴もいるんだ」という陰鬱な影を落としていることも、当然自覚している。差異を...