1.はじめに
現在の東アジアにおいて、日本と中華人民共和国(以下中国)・大韓民国(以下韓国)の間での靖国神社・歴史教科書の問題、日本と中国・韓国の間での領土問題、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間での「拉致」問題など、多くの政治的な外交問題が噴出しており、そのほとんどに日本は直接的に関与している。そしてこれらの問題は、教科書問題の一部を除いて、ほぼ全てが帝国主義時代の日本の侵略行為と、その後の現在まで続くといわれる東アジアの冷戦構造に起因するものである。よって、太平洋戦争の終戦によって日本が連合国軍によって占領されてから、1950年の朝鮮戦争の勃発と1952年にアメリカとの安全保障体制を成立にかけての占領政策の転換を分析することは、現在の東アジアの状況を紐解くうえで重要な意味をもつと思われる。
そこで、アメリカの対日占領政策によって日本が冷戦構造に組み込まれていく過程について、まず、アメリカの対日占領政策の転換に至る経緯を述べ、次いで、対日占領政策の転換による最終的な講和条約締結までの動きについて東アジア全体の動向と併せて眺め、最後に、その動きが東アジアの地域情勢に与えた影響について考察していこうと思う。
2.アメリカの対日占領政策の転換
1945年8月、日本は太平洋戦争の敗戦によってアメリカを核とした連合国軍総司令部(以下GHQ)の占領下に置かれることになった。アメリカは、当時まだ維持されていた日本の財閥、軍隊、官僚などを解体しようとした「弱体化」路線と、早期講和による「中立化」路線を軸に占領政策を進めていたが、程なく「日本重視」と、それによる日本と協同した東アジアの共同管理へとその路線を変更することになった。
2006年度日本政治社会史レポート
「現代の東アジアにおける日米安保体制成立の意味」
参考文献
丸川哲史 『思考のフロンティア リージョナリズム』 岩波書店 2003年
岡崎久彦 『吉田茂とその時代』 PHP文庫 2003年
はじめに
現在の東アジアにおいて、日本と中華人民共和国(以下中国)・大韓民国(以下韓国)の間での靖国神社・歴史教科書の問題、日本と中国・韓国の間での領土問題、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間での「拉致」問題など、多くの政治的な外交問題が噴出しており、そのほとんどに日本は直接的に関与している。そしてこれらの問題は、教科書問題の一部を除いて、ほぼ全てが帝国主義時代の日本の侵略行為と、その後の現在まで続くといわれる東アジアの冷戦構造に起因するものである。よって、太平洋戦争の終戦によって日本が連合国軍によって占領されてから、1950年の朝鮮戦争の勃発と1952年にアメリカとの安全保障体制を成立にかけての占領政策の転換を分析することは、現在の東アジアの状況を紐解くうえで重要な意味をもつと思われる。
そこで、アメリカの対日占領政策によって日本が冷戦構造に組み...