近年、盲導犬の存在は多くの人々の間で知られていることである。しかし、実際に盲導犬がどのようにして視覚障害者の「目」となっているのかまで、知っている人は多くはないであろう。視覚障害者の生活を支えるものとしては白杖があり、私自身も盲導犬と白杖は同じ役目を果たしているという程度の認識であった。そのような考えは、数年前にこの本と出会ったことで改めさせられた。著者の郡司ななえさんが妹の通う小学校に講演に来たのがきっかけで、この本の存在を知ることになった。彼女は私と同じ江東区に住む視覚障害者である。今回のレポートを書くにあたってこの本を再び読み返すことにした。その理由は、一人の読者としてだけでなく、大学で社会福祉を学んでいる人間として、専門的な視点から盲導犬に対する理解を深めたいと思ったからである。以下では、この本の概要を述べ、その後盲導犬との生活をより円滑にするための私の見解を述べる。さらにこれらを踏まえて、視覚障害者に限らず、全ての障害者が生活しやすい地域について考察する。
まずは、概要を述べる。この本は著者と盲導犬ベルナとの出会いから別れまでの物語である。著者は27歳の時に病気で失明した。
郡司ななえ(1996)「ベルナのしっぽ:私の娘は盲導犬」イースト・プレス
盲導犬理解から障害者理解へ
近年、盲導犬の存在は多くの人々の間で知られていることである。しかし、実際に盲導犬がどのようにして視覚障害者の「目」となっているのかまで、知っている人は多くはないであろう。視覚障害者の生活を支えるものとしては白杖があり、私自身も盲導犬と白杖は同じ役目を果たしているという程度の認識であった。そのような考えは、数年前にこの本と出会ったことで改めさせられた。著者の郡司ななえさんが妹の通う小学校に講演に来たのがきっかけで、この本の存在を知ることになった。彼女は私と同じ江東区に住む視覚障害者である。今回のレポートを書くにあたってこの本を再び読み返すことにした。その理由は、一人の読者としてだけでなく、大学で社会福祉を学んでいる人間として、専門的な視点から盲導犬に対する理解を深めたいと思ったからである。以下では、この本の概要を述べ、その後盲導犬との生活をより円滑にするための私の見解を述べる。さらにこれらを踏まえて、視覚障害者に限らず、全ての障害者が生活しやすい地域について考察する。
まずは、概要を...