マニ教と道教の比較と考察

閲覧数2,913
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    マニ教と道教の比較と考察
     このレポートを書くにあったて、私は道教とマニ教を選んだ。先ず初めに、道教の特徴を大まかに挙げ、その特徴にマニ教を照らし合わせて見ていくことにしたいと思う。
    まず道教とは、道(タオ)― 宇宙 と 人生 の根源的な 真理 の 世界 ―の不滅とそれに一体となるべく修行し煉丹術をおこない、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し 仙人 になることを究極の理想とする宗教である。そして、その特徴は七つ挙げられる (神州文化集成叢書『道教与仙学』より抜粋)。一つ目に、現実世界には存在しない神やその偶像、つまり神仙や最高神を信仰・崇拝する。しかし絶対唯一の神の信仰はない。二つ目には、現実の世俗生活を超えた彼岸の世界を作り出す。これには逍遥自在・長生不死の神仙の世界があてはまる。三つ目に、国家の社会政治と人々の現実生活の関係が間接的に反映されている。中国が家長制の封建宗法社会であったころ、神仙の生活を空想させることによって人々の現実生活の欲望を満たす役割を果たしていた。一方では、家長制の社会秩序を維持するために封建宗法の観念や倫理道徳を神学の教条に変え、苦難に耐える人々を束縛し麻痺させる役割もかねていた。四つ目に、特有の宗教観念と思想体系があり、それがもとになって教義や経典が形成されている。道教は、三大世界宗教とは異なる独特の神霊観・神性観・霊魂観・生死観を育み、宗教観念と宗教思想の体系を形成した。この上に道教の教義が形成され、多くの経典が蓄積された。五つ目に、教徒の宗教感情と宗教体験を育成するために宗教経験を獲得する修行方法がある。神仙に対する依頼感や畏怖感、神聖な力に対する驚異感、神仙に保護されているという安心感、教えに背き神を軽んじる罪悪感、神と交わり一つになった神秘体験などを道士に持たせようとするその修養方法とは、天人合一・返樸帰真・人と道の一体化を追及することである。六つ目に、法術・禁忌、神に対する祭祀や祈祷、それに由来する宗教礼儀を含んでいる。道教は法術に長じた宗教である。それは中国の古くからの方技術数を余すことなく含んでいるばかりか、宗教礼儀や斎醮の様式も作り上げた。七つ目に、宗教を職業とする人々がいて、それ相応の宗教の機構と階層を形成している。教徒は教えの規律に従って自己の行為を制限し、宗教の規範に従う。故に道士たちは、特別な服を身につけ規律と戒律に従う宗教職業者といえる。以上が道教の大きな特徴である。これにマニ教の特徴を照らし合わせて見ていくことにする。
    最初に、マニ教は善悪二元論の立場を取る。善悪二元論とは世の中の事象を善と悪の二つに分類する事で世界を理解しようとする 思想 である。さらに、マニ教の根幹はグノーシス主義に基づいた禁欲主義であり、肉体を悪とみなし、霊魂を善の住処とした。そのあたりのことも念頭において見ていくことにする。それでは、一つ目から三つ目までをまとめて見てみる。マニ教の場合、ユダヤ教、ゾロアスター教、キリスト教、グノーシス主義、仏教、道教から影響をうけているが、神もしくはその偶像を崇拝することはない。ゾロアスター、仏陀、イエスは預言者の後継と解釈している。現実の世俗生活を超えた彼岸の世界、これもまた特にはない。国家の社会政治と人々の現実生活の関係も特に見られない。この違いは、道教とマニ教がそれぞれ人々に受け入れられた背景の違いを見る必要がある。道教の場合は、家長制の封建宗法社会という国民にとっては生きにくい世の中で、人々がすがるもの欲しさに受け入れたという背景だが、マニ教の場合そうではない。シャ-プールー一

    タグ

    レポート宗教道教マニ教

    代表キーワード

    マニ教

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    マニ教と道教の比較と考察
     このレポートを書くにあったて、私は道教とマニ教を選んだ。先ず初めに、道教の特徴を大まかに挙げ、その特徴にマニ教を照らし合わせて見ていくことにしたいと思う。
    まず道教とは、道(タオ)― 宇宙 と 人生 の根源的な 真理 の 世界 ―の不滅とそれに一体となるべく修行し煉丹術をおこない、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し 仙人 になることを究極の理想とする宗教である。そして、その特徴は七つ挙げられる (神州文化集成叢書『道教与仙学』より抜粋)。一つ目に、現実世界には存在しない神やその偶像、つまり神仙や最高神を信仰・崇拝する。しかし絶対唯一の神の信仰はない。二つ目には、現実の世俗生活を超えた彼岸の世界を作り出す。これには逍遥自在・長生不死の神仙の世界があてはまる。三つ目に、国家の社会政治と人々の現実生活の関係が間接的に反映されている。中国が家長制の封建宗法社会であったころ、神仙の生活を空想させることによって人々の現実生活の欲望を満たす役割を果たしていた。一方では、家長制の社会秩序を維持するために封建宗法の観念や倫理道徳を神学の教条に変え、苦難に耐える人々を束縛し麻痺させ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。