「第一次大戦中および大戦後数多く発症した
シェル・ショックの意味するところは何か」
第一次世界大戦
シェル・ショック〈戦争神経症〉を理解するに当たって、まず、第一次大戦について話をする必要がある。
1908年、オーストリアはボスニアを併合し、現地のスラブ系住人から反感を買っていた。1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子一行が、ボスニアの首都サラエボを訪れた。その時のパレードの最中に、スラブ人の過激派の青年に銃殺された事件(サラエボ事件)から、帝国主義の世界大戦が始まった。
この時は、「戦争はクリスマスまでには終わるだろう」というのが世間の一致した見方であり、誰も疑わなかった。だから、新兵の身体的適性や、産業・軍需両面のバランスまでは、考えられてはいなかったし、志願兵もたくさんいた。イギリスでは志願者が押し寄せた「8月の熱狂」という現象までおきた。これは多くが中流階級かそれ以上であり、戦争に対する支持率は裕福な階層に多いと言える。これは愛国心や、生活に対する余裕がそうさせている。
大量虐殺
戦争はクリスマスまでには終わらなかった。年を越し、1915年に入ると、膠着状態に...