家康・秀忠・家光の3代の内に江戸幕府の支配体制が整った。この支配体制を幕藩体制という。幕藩体制確立の過程として、幕府への服従を強化するため、徹底した大名の改易や転封を断行、関東は直轄領・旗本・譜代の小藩の領地で固め、東海道・畿内の要地はこれに準じ、外様の大藩は辺境地帯に移す方針で親疎・大小を入り組ませて互いに大名が連合しない体制を作った。これにより大名領との結合を弱め幕府への服従は絶対となった。
一六一五年(元和二年)に一国一城令の発布し、大名の領国には、大名が住む1つの城以外は廃城という内容で幕府の全国支配を強化。
さらに、参勤交代の制度により、大名は1年ごとに江戸と自分の領地を往復しなければならず、莫大な交通費や生活費を支出することになり、財政難となった。そのため、中央市場である大阪で、年貢米や特産品を販売して資金を稼ぐことになった。また参勤交代により5街道などの陸上交通網が整備され、物資を運ぶための水上交通網も整備されたことにより幕藩体制は経済的に安定した。
禁中并公家諸法度は、天皇と公家に対しての統制であり、初めて天皇についても定められた法であった。
このような制策により大名た...
だだ、幕府職制をもう少し詳しく書いたほうが良かったと思います。
あとは、最後の考察が少し甘かったような気がします。