インテグレーションの聴覚障害児と
難聴学級について
■はじめに
私は現在、重度の聴覚障害を有しており、小学校から高校までをろう学校ではなくインテグレーションと言って聞こえる子どもと一緒に地域の学校に通っていた。
その間はどうだったかと言うと、周りの友達や先生とのコミュニケーションの壁をとても感じていた。そして今思い出してみると、日常生活における人とのかかわりに一線をおいており、精神的にも安定できる学校生活を過ごすことができなかったように思う。
また、短大に入ってから『聞こえない人達の社会』(これをデフコミュニティという)へも世界を広め、色々な年代の色々なろう者や難聴者と交流を深めていくようになったが、そこで私は自分の聴覚障害について何も分からず、しばしば自信喪失になる事が多かった。現在でも時折悩ませられるが、これは自分が自分であることを確認できないという、『アイデンティティ・クライシス』呼ばれる状態だということを、最近知った。
私の場合、「難聴者にもろう者にも、まして聴者にもなれない私は、何者なのだろう」「聞こえないということはどういうことなのか?」「自分は一体どのような問題をかかえているのか?」ということが、それまでの聞こえる人達との生活で濁され、無いもののようになっていたのに、デフコミュニティに入って突然浮き彫りにされたことからきたのだと思う。
私と同じようにインテグレーションをしてきたろう・難聴者から話を聞くと、小学校~高校時代はまわりの聴者と壁を感じ、大人になっていくにつれて「自分は一体何なのか」という事に悩ませられるという人がいる。聴覚障害児にとってのインテグレーションとは、コミュニケーションの上でももちろん、大人になっていく自己形成にもストレスを感じさせるものなのかもしれない。
しかし、私はインテグレーションが悪いのだとは思わない。同じ聴覚障害者のなかで育てていくか、聴者のなかで育てていくかという選択肢はあってもいいと考えている。問題は、インテグレーションという自分ひとりだけが聞こえないという環境で、どうしたら聴覚障害児が必要以上のストレスに晒されずにすみ、軽減されるかという事だ。
このレポートでは私なりにそのことについてまとめてみた。
■ろう学校育ちとインテグレーション育ちとは何が違うのか?インテグレーションで子どもへの影響はどうなっていくのか?
まず、ろう学校とインテグレーションの違いとはなんなのだろうかという事を説明したい。聴覚障害児に関わらず、障害児が就学する方法は主に二通りに分けられる。一つはインテグレーションと言って、教育関係では「総合」あるいは「総合教育」などと訳される用語で、障害のある子供を地域の学校や学級に入れ、健常児と一緒に学習させる方法。そしてもう一つは特別教育機関と呼ばれ、その障害に合った教育方法が行われる盲学校、ろう学校、養護学校という学校で、同じ障害を有する子どもと一緒に学習させる方法である。
このふたつの方法の違いが、子どもの学校生活と友人関係にどう影響するのかを、現在大学生や社会人である20代前半~30代前半の聴覚障害者40人に協力していただき、インテグレーションをしていた人とろう学校に通っていた人にアンケートを実施してまとめてみた。
質問内容は【インテグレーションをしていた人】そして【ろう学校に通っていた人】へと分け、それぞれ学校生活と友人関係(コミュニケーションの面)について質問した。
その結果、【インテグレーションをしていた人】20人中12人は、「低学年の頃はただからだを動かして遊んでいるだ
インテグレーションの聴覚障害児と
難聴学級について
■はじめに
私は現在、重度の聴覚障害を有しており、小学校から高校までをろう学校ではなくインテグレーションと言って聞こえる子どもと一緒に地域の学校に通っていた。
その間はどうだったかと言うと、周りの友達や先生とのコミュニケーションの壁をとても感じていた。そして今思い出してみると、日常生活における人とのかかわりに一線をおいており、精神的にも安定できる学校生活を過ごすことができなかったように思う。
また、短大に入ってから『聞こえない人達の社会』(これをデフコミュニティという)へも世界を広め、色々な年代の色々なろう者や難聴者と交流を深めていくようになったが、そこで私は自分の聴覚障害について何も分からず、しばしば自信喪失になる事が多かった。現在でも時折悩ませられるが、これは自分が自分であることを確認できないという、『アイデンティティ・クライシス』呼ばれる状態だということを、最近知った。
私の場合、「難聴者にもろう者にも、まして聴者にもなれない私は、何者なのだろう」「聞こえないということはどういうことなのか?」「自分は一体どのような問題をかかえて...