教育原理 日本の教育観は戦前と戦後ではどのように変わったのか

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    資料紹介

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    【参考文献】
    ・田中未来「教育原理」<福村出版 1983.5>
    ・吉田昇「教育原理」<有斐閣 1986.2>
    ・荒井武「教育原理」<福村出版 1991.4>
    ・田中未来「保育者のための教育原理」<川島書店 1993.4>
    ・田嶋一「やさしい教育原理」<有斐閣 1997.4>
    ・保育士養成講座編纂委員会「保育士養成講座第9巻」<全国社会福祉協議会 2009.3>

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    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    日本の教育は戦前と戦後では変化している。その時々の思想や風潮、時代の流れや事柄がどのようにして教育に影響を与えてきたのか述べる。

     明治元年に明治維新を迎え、近代教育制度として明治5年に学制が公布された。学制はフランスの制度に倣って学区制度を採用した。また、学制と同時に発布された「被仰出書」で「学問は人格を磨き、日常生活、及び経済的知識や技術を得られ、立身出世に繋がり、才能や芸の発展の為にも必要であり、産業を盛んにする為にある。」として、全ての人々が学ばなければならないと記されていた。これは学問が国家や人の為ではなく、自分自身の為にあるとされていた。しかし、明治政府は個人の為の教育と考えず、就学告論では、富国強兵の一環として一般の人民の役割としていた。学制は明治5年から12年までの約7年間続いたが、小学校は義務ではあるが、無償ではなく金銭的負担が大き過ぎた。また、労働力太くとなることも就学を妨げた要因となり、庶民が子どもを小学校へ通わせられず、就学率も伸びることはなかった。

     やがて、政府内部に日本の文明開化推進を支持する開明派と道徳・規範を教育の中心とする保守派の対立が生まれた。...

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