福祉国家とは「国民の福祉増進と確保」、すなわち、「すべての国民に健康で人間らしい文化的最低限度の生活を保障しようとする国家」である。第二次世界大戦中はナチスの「戦争国家」、そして戦後には「社会主義国家」と対比する意味で市民的自由を守りつつ国民生活の保障のために積極的に関与する、先進資本主義国の国家のあり方を示す言葉として使われるようになった。
近代初期の国家のなかには、国民の福祉を政治目標として掲げた国もあったが、その福祉の内容は君主によって決定され、恩恵的なものであり、国民生活のすみずみまで干渉したいわゆる「警察国家」であった。これを「古典的福祉国家」とも言う。続いて19世紀中ごろの「夜警国家」と言われる時代になると、個人の自由競争こそ社会発展の原動力と考え自由放任主義を最良のものとした。この時代には、貧困は個人の責任でその救済は国家の責任ではないとされたのである。19世紀後半、資本主義経済が発展するとともにさまざまな矛盾が生じてきた。すなわち貧富の差の増大と階級闘争、周期的恐慌と帝国主義である。このような状況のもとで、貧困は恐慌や戦争という個人の責任ではなく政治・経済の構造そのもののなかに原因があるとして、その救済を国家の責務とする近代福祉の思想が台頭してきたのである。スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・デンマークなどの北欧の国は、社会保険制度を中心に社会扶助の制度を早くから採用していた。19世紀後半から20世紀にかけて社会主義思想が強調されると、それに対応して資本主義経済体制を修正し、その矛盾を除去して国家・社会の積極的な活動によって国民の生存と幸福を保障しようとした。かくして、近代諸国の憲法のなかに新たに生存権の保障が取り入れられることになった。その原型をなすものがドイツのワイマール憲法であった。
「福祉国家の思想と原理について述べよ」
福祉国家とは「国民の福祉増進と確保」、すなわち、「すべての国民に健康で人間らしい文化的最低限度の生活を保障しようとする国家」である。第二次世界大戦中はナチスの「戦争国家」、そして戦後には「社会主義国家」と対比する意味で市民的自由を守りつつ国民生活の保障のために積極的に関与する、先進資本主義国の国家のあり方を示す言葉として使われるようになった。
近代初期の国家のなかには、国民の福祉を政治目標として掲げた国もあったが、その福祉の内容は君主によって決定され、恩恵的なものであり、国民生活のすみずみまで干渉したいわゆる「警察国家」であった。これを「古典的福祉国家」とも言う。続いて19世紀中ごろの「夜警国家」と言われる時代になると、個人の自由競争こそ社会発展の原動力と考え自由放任主義を最良のものとした。この時代には、貧困は個人の責任でその救済は国家の責任ではないとされたのである。19世紀後半、資本主義経済が発展するとともにさまざまな矛盾が生じてきた。すなわち貧富の差の増大と階級闘争、周期的恐慌と帝国主義である。このような状況のもとで、貧困は恐慌や戦争と...