佛教大学の通信課程、東洋の歴史(Q0102 ※他のコードでも課題が同じ場合は参考にしていただけるかと思います。)の科目最終試験対策用にまとめたものです。
(1)~(6)の課題を学習用として作成しました。
①次の事項から一つを選択し、文化の具体的内容と特徴について述べよ。
(1)前漢・後漢の文化 (2)明代の文化 (3)清代の文化 (4)新文化運動
②次の設問から一つを選択して解答せよ。
(1)第一次国共合作の成立の背景と崩壊の原因について述べよ。 (2)アヘン戦争の原因と結果について述べよ。 (3)春秋から戦国時代にかけて社会が大きく転換した。それは何がどのように変動・転換したのか、具体的に述べよ。 (4)等から宋にかけて中国社会が大きく変化した。それは何がどのように変動・転換したのかについて、具体的に述べよ。
③次の事項より一つを選択し、歴史的な解説をせよ。
(1)儒学 (2)安史の乱 (3)変法運動 (4)革命運動
④次の民衆反乱から一つを選択して解答せよ。
(1)黄巾の乱 (2)紅巾の乱 (3)太平天国運動 (4)義和団運動
⑤儒教・道教・キリスト教から一つを選択して、それが歴代の王朝でどのように取り扱われてきたかについて述べよ。
⑥次の事項から一つを選択し、両者(漢民族と異民族)が政治的・社会的・文化的に相互にどのように影響し合ったかについて述べよ。
(1)漢と匈奴(2)宋朝と遼・金(3)明朝とタタール・オイラート
実際の試験では③が出題され(3)変法運動を選択し、90点での合格でした。
解答の丸写しは一切禁止されていますので、あくまでも参考用としてご利用していただければ幸いです。
①次の事項から一つを選択し、文化の具体的内容と特徴について述べよ。
(1)前漢・後漢の文化 (2)明代の文化 (3)清代の文化 (4)新文化運動
※(1)を選択
明代から清にかけての混乱の中で、実証的な学問である「考証学」が生まれた。考証学とは諸事の根拠を明示して論証する学問である。
儒教・儒学思想が中心であった明代には陽明学が誕生し流行したが、清代では考証学が流行した。考証学の代表的な学者は顧炎武、黄宗義である。彼らは清王朝には仕えず、特に顧炎武による考証学の教えは、確実な論証を求めて立論することが特徴的であり、著作には『日知録』が知られている。
四代皇帝である康熙帝はキリスト教を容認し、積極的に宣教師を登用した。自らもヨーロッパ文化を学び、思想統制を行ってはいたが学者を支援し、漢字辞典『康熙字典』、百科辞典『古今図書集成』を編纂させている。
キリスト教は、典礼の問題を機に衰え、宣教師は技術面だけの顧問となったが、彼らの協力のもとに中国最初の実地地図『皇興全賢図』やバロック様式と中国様式が調和した建設様式である『円明園』が建てられた。
前漢の武帝や後漢の光武帝の影響により...