日本政治史 分冊2

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    日本は北進政策を採用したことにより、満州事変に至った以降、日本は満州育成の方針を決定したが、南方への政治的進出は利害関係を要する英・米・仏・蘭との衝撃を懸念して抑止していた。しかし、ワシントン海軍条約の廃棄、ロンドン海軍軍縮条約からの離脱による海軍軍備拡張と続いて発生した日中戦争の拡大によって、石油等の南方諸物資の必要を感じた日本は、南方進出に踏み切り、両政策を進めることとなった。この日本の南進政策は、アメリカを刺激してしまうこととなり、日米関係は悪化していくこととなった。アメリカは日米通商条約を廃棄し、日本に対して鉄鋼や屑鉄、石油輸出の全面禁止を発表したが、日本はアメリカと対立すると戦争遂行に不可欠な原材料が無くなり、何としても避けたい事柄であった。

     日米交渉打開のため、昭和15年7月に第二次近衛内閣が成立し、松岡外相と海軍大将の野村吉三郎が駐米大使に就任した。松岡外相の三国同盟を背景に米英を威圧して参戦を防止しようとする非妥協的方針より、野村大使は近衛首相の意を承けて、昭和15年にアメリカ政府首脳部と近い牧師ウォルシュとドラフトと話し、日米交渉を軌道にのせる方針を採った。翌年1...

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