フラメンコの成り立ち
スペインでも一番南方のアンダルシア地方は、地理的な特色もあって古代都市が栄え、古くからさまざまな地域との交易が盛んな土地であった。このためアンダルシアの音楽は、その地理的、歴史的な背景にともなってインド、アラブ、ユダヤ、ギリシャ、カスティーリャ等の音楽文化に複雑な影響を受け、非常にエキゾチックな魅力を放っていた。
インド北部から発生してヨーロッパへ拡散していったジプシー民族が、初めてスペインの記録で確認されたのは15世紀のことであった。このうちアンダルシアにやってきた一部のジプシーの民が、自らの音楽とアンダルシア土着の音楽をミックスして作り上げたものが、今日のスタイルに一番近いフラメンコだと言われている。
スペインではジプシーのことをヒターノgitano(女性形ではヒターナgitana)と呼ぶ。彼らの生業は主に馬の売買人、鍛冶屋、占い師、細工物工などで、歌や踊りで金を稼ぐ者も少なからずいたようだ。他の民族との混血を避けオリジナルな因習を守るヒターノは、社会から忌み嫌われる存在であった。16世紀から18世紀の長きにわたって迫害の歴史は続き、ヒターノは民族としてのアイデンティティ(放浪生活やジプシー言語カロcalo)をすべて否定され、政府のスペイン人への同化政策のもと、グラナダのサクロモンテやセビージャのトリアーナ地区に代表されるような「ヒターノ居住地」の定住を強いられるようになった。こうしたアンダルシア各地のヒターノ地区で盛んになった音楽が、18世紀頃になるとフラメンコとして確立したのである。社会から虐げられたヒターノの嘆きや叫びが、歌(カンテcante)に表現され、カンテ・フラメンコcante flamencoが生まれた。
フラメンコの発展
カンテと手拍子のパルマpalmasで始まったフラメンコは、今から200年ほど前に現在のような形がほぼ整ったと考えられている。
フラメンコの歴史
フラメンコの成り立ち
スペインでも一番南方のアンダルシア地方は、地理的な特色もあって古代都市が栄え、古くからさまざまな地域との交易が盛んな土地であった。このためアンダルシアの音楽は、その地理的、歴史的な背景にともなってインド、アラブ、ユダヤ、ギリシャ、カスティーリャ等の音楽文化に複雑な影響を受け、非常にエキゾチックな魅力を放っていた。
インド北部から発生してヨーロッパへ拡散していったジプシー民族が、初めてスペインの記録で確認されたのは15世紀のことであった。このうちアンダルシアにやってきた一部のジプシーの民が、自らの音楽とアンダルシア土着の音楽をミックスして作り上げたも...