「中国古代史上の封建制・郡県制・郡国制」について。
西周/秦/始皇帝/項羽/劉邦/景帝/諸侯王
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1.はじめに
本レポートでは、古代中国における地方統治政策の変遷について時代を追って見ていくことにする。
2.周王朝と封建制
2.1.封建制の成立
周の武王は紀元前1046年に牧野の戦いにて殷を滅ぼしたのちに鎬京に都を建設したが、そこから紀元前771年に洛邑に遷都するまでを西周時代という。
封建制が創始された西周では、統治者は天子・諸侯・卿・大夫・士の五つの身分からなるとされ、その下に被治者である庶、もしくは民がくるとされていた 。この身分制秩序は、王が諸侯に土地と人民を与えて統治させ、諸侯は自分の臣下である卿・大夫・士に領地を与えてその見返りとして軍事奉仕や行政実務を担わせるという仕組みに連動していた。周王は自らの血縁関係に基づいて一族や功臣などを諸侯とし、一定の土地と人民の支配権を与えることによって統治したが、各諸侯、卿・大夫もまた、それぞれの領地内で幾重にも分封をした 。周王室は、婚姻関係を結ぶにあたっても、異姓の諸侯を同族親族の範囲内に取り込んだ。周王と諸侯、諸侯とその家臣である卿・大夫・士は、擬制的な血縁関係にあった。実質的な世襲制によって領有を認めた点からも、周は血...