私は地域社会と医療・福祉について考える際、どうしても高齢者や障害をもった人といった社会的弱者というものを考えずにはいられなかった。そして、地域社会の中で、そういった方がたをきちんとひとりの人間として捉えるにはどうしたらいいのか考えた。個人というのは、困っているときには社会や行政に対して、何かしてもらいたいと要求するものと捉えていた。ところが、人間にとって大切なこととは、自分自身の人格が保障されることと、人としての尊厳が守られることなのではないかと考えたのだ。何かをしてもらうのではなく、場合によっては何もされないことの方が重要なのではないか。これはただ突き放しているのではない。何か物やサービスを提供してもらうことが人間の福祉的ニーズの根本にあるということを忘れてはいけないと思うのである。人間の尊厳とは何か、と聞かれてもなかなか言葉では表現しつくせない。そこには生存、人としての精神的な自由だとか思想信条の自由だとかが含まれる。さらには愛だとか、つながりだとか、友情だとか、そういったものがすべて人格や尊厳の中に含まれるのである。だから、権利のように言葉では十分に説明できないものなのだ。でも、社会的な共通価値として大切にされなければならない性質のものであることは確かである。法律に権利という形式で表現しつくすことが難しいものが実は一番大切であるということなのだ。地域社会の中でそういう人格や尊厳をいかに守っていくかということ、特に社会的弱者と言われてしまう人とって望ましい地域社会や医療・福祉とはどういうものなのか、これからのべていきたい。
私たちは、いろいろな選択をしながら生活している。その選択を、自分が十分満足のいくものにするのはとても難しいことだが、それでも私たちは理想のために自分の置かれた不利な状態や恵まれない条件を出来る限り折除きたいと考えるだろう。
「地域医療をどう設計するか」
-特に社会的にハンディーキャップを持っている人にとっての医療・福祉
1・はじめに
私は地域社会と医療・福祉について考える際、どうしても高齢者や障害をもった人といった社会的弱者というものを考えずにはいられなかった。そして、地域社会の中で、そういった方がたをきちんとひとりの人間として捉えるにはどうしたらいいのか考えた。個人というのは、困っているときには社会や行政に対して、何かしてもらいたいと要求するものと捉えていた。ところが、人間にとって大切なこととは、自分自身の人格が保障されることと、人としての尊厳が守られることなのではないかと考えたのだ。何かをしてもらうのではなく、場合によっては何もされないことの方が重要なのではないか。これはただ突き放しているのではない。何か物やサービスを提供してもらうことが人間の福祉的ニーズの根本にあるということを忘れてはいけないと思うのである。人間の尊厳とは何か、と聞かれてもなかなか言葉では表現しつくせない。そこには生存、人としての精神的な自由だとか思想信...