改訂版 Travis・Scottの 宗教性 ~儀式としてのライブ~

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    資料紹介

    アメリカのラッパー、ヒップホップアーティストのTravis・Scottの宗教性についてライブの儀式的側面から考察する。

    資料の原本内容

    Travis・Scottの 宗教性 ~儀式としてのライブ~
    はじめに
    2021年11月5日にアメリカのラッパーのTravis・Scottが開催した音楽ライブ「アストロワールド・フェスティバル」において、観客がステージへと殺到し、10人が死亡するという事故が起きた。また、その事故前にはVIP用ゲートが破壊され、観客が中へ入るという事も起きていた。Travis・Scottはなぜこれほどまで人々を熱狂させることが出来るのかについて考察する。その方法として、Travisの行う音楽ライブの宗教的儀式としての役割を明らかにしたい。先行研究は確認できなかった。
    Travisの活動についての考察
    宗教性を成り立たせる「聖なるもの」という概念についてドイツの宗教学者のオットーは、われわれは「聖なる」という言葉をもっぱら派生的な意味で使っているのがふつうであり、決してそのもともとの意味では用いていない。というのも、われわれはこの言葉を、通常は、無条件に倫理的な意味で、つまり完璧に善いという特性を表わす用語として理解しているからである。 …… しかしながら、「聖なる」という言葉のそのような使い方は不正確である。(Otto, 1936 久松訳, 2010, p18-19)
    とし、この「聖なるもの」を「ヌミノーゼ」と呼称している。そしてヌミノーゼを体験するときの心情を、「戦慄すべき神秘」、「魅了するようなもの」(Otto, 1936 久松訳, 2010)とし、そのような感情を体験させるものをヌミノーゼ、つまり「聖なるもの」としている。つまり事物そのものが倫理的、道徳的なものでなくともある種の感情を引き起こすようなものであれば、その事物は宗教的な神秘性を帯びうるということである。Travisは楽曲「Sicko mode」で「Hit my eses, I need the bootch〔esesはメキシコ系アメリカ人のギャング、bootchはコカインを指すスラング〕」(ギャングに連絡する、俺はコカインが必要なんだ)と歌い、楽曲「Highest in the room」では「I got room in my humes」(部屋をマリファナの煙で満たす)と歌っており、ドラッグの使用を歌詞の中でほのめかしている。この面から見ると、Travisは道徳的ではないといえるが、オットーの論に基づくならば、彼が神秘性を帯びる ことは可能なのである。そして、Travisの楽曲は「It blends the euphoria of an acid trip〔
    acid tripはLSDの使用による幻覚状態を表す〕」、「The psychedelic and purely gorgeous “Stargazing” has the air of a lucid dream」(Billboard 2018)と評されており、彼の楽曲を聴くことによってファンたちは独特で、いわば一種の宗教的感情を引き起こされ、その楽曲やTravis自身を聖なるものとして認識するのである。また、アストロワールド・フェスティバルを含むアメリカのヒップホップ界でのライブでは、観客たちがアーティストとともに歌う事がほとんどであるため、観客は独特な感情をより強く感じることになる。
    次に、フランスの社会学者デュルケムは聖と俗の関係について俗に対して聖を定めるには両者の異質性のよるほかはない。……この異質性は絶対的である……聖と俗とは、常にいたるところで、異なる綱、互いに共通的なものを持たない二つの世界である、と人間精神は考えているのである。……しかしながら、これはある存在が両世界の一から他へけっして移りえないというのではない。(Durkheim, 1912 古野訳, 1941 p74-75)としている。これによって音楽におけるライブの儀式としてのあり方を示すことが出来る。
    アーティストのファンは彼らの楽曲を聴く事は出来るが、アーティスト本人とファンが直接に交流する機会はほとんどない。ファンたちはアーティストたちをある種の別世界にいる存在、楽曲上にのみ存在しているものと認識している。通常時に楽曲を聴いている時、聖であるアーティストと俗であるファンはお互いに分離されているといえる。そこで、一時的にファンとアーティストを関わらせ、聖と俗との直接的な関係を生み出しているものがライブという儀式なのである。ライブ会場では観客たちはアーティストを直接視認できるのみならず、ともに歌うという行為も聖であるアーティストと俗である観客をより強固に結びつけるものであるといえる。
    また、アストロワールド・フェスティバルでは、会場への入り口がTravisの顔を模した門になっており、観客たちはTravisの口をくぐって会場へと入ることになる。この門は日本の神社における鳥居と同じ役割を持ち、聖と俗の場所を分離させ、門をくぐることによって観客たちにここから先は聖なる場であると意識させているのではないか。

    そしてライブ以外における彼の活動においても宗教性を確認することが出来る。Travisの手がけるレコードレーベル「カクタスジャック」のグッズや、Nikeなどのファッションブランドとのコラボ商品は取引価格が20万円を超えるものもあり人気が高く、彼のファンは彼のグッズを自分の身近に身につけることによって、カトリックにおけるロザリオ、神道などにおける護符と同様に、聖なるものの存在を常に意識することを可能にしていると考えられる。

    結論
    本レポートではTravis・Scottの行う音楽ライブの宗教的儀式としての意義について調査しようと考えた。本論ではTravisの楽曲が独特な宗教的感覚をもたらすことによって彼が神秘性をもってファンに認識されること、ライブが聖なるものであるアーティストと俗なるものであるファン、観客を一時的に結びつける儀式であること、ライブ会場の門やグッズなどが一般の宗教的事物と関連付けられるということを述べた。そのうえで、Travisとそのファンは普段分離されているがライブが彼の陶酔的感覚をもとらす楽曲を聴き、彼とともに歌うことで彼との繋がりや神秘性を認識する儀式としての役割を果たし、Travisの熱狂的人気に寄与していることが判明した。先行研究を発見することが出来なかったため、次は先行研究の穴を埋めることが出来るような調査がしたい。

    文献表
    渡邉秀司 (2003) 「聖と俗について一宗教経験、民俗信仰から一」、 『佛教大学大学院紀要』、 第31号
    Billboard 「Travis Scott Shoots for Superstardom With Bold New Album ‘Astroworld’」
    https://www.billboard.com/music/rb-hip-hop/travis-scott-astroworld-review-8468525/
    (2022年2月11日閲覧)
    The U.S. Sun 「ASTROWORLD TRAGEDY Victims of Astroworld 2021: How many people died at Travis Scott’s festival?」
    https://www.the-sun.com/entertainment/4023176/victims-astroworld-2021-how-many-died-travis-scott-festival/ (2022年2月11日閲覧)
    The Washington Post 「How Astroworld Festival cemented Travis Scott’s status as a music A-lister」
    https://www.washingtonpost.com/arts-entertainment/2021/11/06/travis-scott-astroworl
    d/ (2022年2月11日閲覧)
    島田裕巳 (2019) 『教養としての宗教学―通過儀礼を中心に―』、 日本評論社
    Rudolf Otto (1936) 『Das Heilige』 (ルドルフ・オットー 久松英二(訳)(2010) 聖なるもの 岩波文庫)
    Émile Durkheim (1917) 『Les Formes élémentaires de la vie religieuse』 (エミール・デュルケム 古野清人(訳)(1941)宗教生活の原初形態 岩波文庫)

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