①「韃靼漂流記」の時代を簡単に要約せよ
1644年4月1日。竹内藤右衛門、国田兵右衛門ら58人が商売のため、松前に出航する。が、しかし2回の暴風雨にあい、ポシェット湾に漂着する。翌々年に清朝や李氏朝鮮の協力の元、故郷の越前に帰れた。これが韃靼漂流記の概要である。ここから鎖国後の江戸幕府と東アジアの関係が見て取れる。そして鎖国という歴史観念の見直しが必要になってくるのである。
韃靼漂流記で彼らの漂流の記録は1/3でしかない。残りは清朝の風俗が記されている。この書を読むと4つの疑問が残る。①なぜ清から直接ではなく、朝鮮から帰国したのか?②なぜ対馬に70日間ほど滞在したのか?③帰国してからの彼らの処遇はどうだったのか?④なぜ韃靼漂流記の2/3が清朝事情なのか?というものである。
①の疑問の答えとして、当時の清には漂流民の送還体制が出来ていなかった。しかし1627年にはもう朝鮮と日本の間で漂流民を保護・送還する制度が出来ていたのだ。朝鮮に漂着すると、釜山から対馬藩へ引き渡しをされた。清はその制度に頼ったのである。続いて②だが、これはさきほどの制度の続きで、対馬藩から長崎奉行に管轄が変わり、そこ...