スポーツと権利

閲覧数1,293
ダウンロード数11
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    ファン・サポーター、観戦者、視聴者(消費者)の権利と義務について考えていきたい。初めに、ファン・サポーターの定義であるが、日本では、従来から、「サポーター=応援する人=ファン」という認識があり、教科書においても、『サポーターの場合はそれ(応援)を超えて、さらにサポーター同士の連携を創りあるいは球団との話し合いも持ちながら、サポーターの関わり方をも追求する、新たな応援形態を模索する集団として発足した。』とされてはいるものの、ファンとサポーターは同じ範疇だとされている。しかし私はこれに同意しない。ファンとサポーターをいっしょくたにしては、地域密着という概念を理解し、自分のクラブを応援している人に失礼であるし、日本サッカーが一過性の盛り上がりを見せた時にマスコミが言う、「にわかサポーターもサポーター」という認識が蔓延してしまうことになるだろう。ファンとサポーターの格差が激しく、サポーターと呼ぶべき人の中には、ファンを理解しない人も少なくないのが日本の現状である。しかしこれは、サッカーにおいて言えば、ワールドカップやオリンピック時に、守るべき命題を与えず、その後の責任や問題の追及、反省を怠ってきた日本サッカー協会とJリーグの責任であろう。大会に明らかな命題を与える事により、ファンは各大会における重要度の違いを理解していき、反省を行う事で、ファンは真剣な態度を感じ取るのだ。つまり、ファンがサポーターに近づくことができるとも言える。しかし、最も重要なのは、人それぞれに楽しみ方があることを認め、しっかりとした区別を認識し、お互いの立場を考えて応援する事で、それにより、更なる一体感が達成でき、よりよい応援が行われるであろう。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

                 
    ファン・サポーター、観戦者、視聴者(消費者)の権利と義務について考えていきたい。初めに、ファン・サポーターの定義であるが、日本では、従来から、「サポーター=応援する人=ファン」という認識があり、教科書においても、『サポーターの場合はそれ(応援)を超えて、さらにサポーター同士の連携を創りあるいは球団との話し合いも持ちながら、サポーターの関わり方をも追求する、新たな応援形態を模索する集団として発足した。』とされてはいるものの、ファンとサポーターは同じ範疇だとされている。しかし私はこれに同意しない。ファンとサポーターをいっしょくたにしては、地域密着という概念を理解し、自分のクラブを応援している人に失礼であるし、日本サッカーが一過性の盛り上がりを見せた時にマスコミが言う、「にわかサポーターもサポーター」という認識が蔓延してしまうことになるだろう。ファンとサポーターの格差が激しく、サポーターと呼ぶべき人の中には、ファンを理解しない人も少なくないのが日本の現状である。しかしこれは、サッカーにおいて言えば、ワールドカップやオリンピック時に、守るべき命題を与えず、その後の責...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。