ソクラテスを賢者、プラトンを詩人とすれば、アリストテレスは独断的な体系化であるとするのが一般の動かぬ見解である。
も大きな影響を受けた。そしてプラトンの死後、後継者問題が勃発するのを契機にアリストテレスはアテナイを去る。これが第二期、遍歴時代の始まりである。この時期は自然研究への関心が深まるという点で特に重要な時期である。また、イエーガーによれば、アリストテレスがプラトンの哲学から離脱して四原因説や実体論のような彼自身の形而上学の中心思想を発展させたのはこの遍歴時代であった。小アジア・マケドニアの各地で過したのち、彼はアテナイへと戻り、リュケイオンにて学園を創始する。これがリュケイオン時代と後の偉大な時代である。
アリストテレスが生涯行った学業の広範さは未曽有のものである。論理学、形而上学、天上・月下の世界の自然学、プシューケー論、倫理学、政治学、文芸論などである。
コマコス倫理学」を材にとって考えてみたいと思う。
ソクラテスを賢者、プラトンを詩人とすれば、アリストテレスは独断的な体系化であるとするのが一般の動かぬ見解である。
アリストテレスは紀元前387年、ギリシアの北方カルキディア地方のスタゲイラという小さな町に生まれた。367年、17歳のアリストテレスはアカデメイアに入学し、そこで20年間プラトンに学んだ。アリストテレスの思想的発展は3つの時期に大別されうるが、この最初のアテナイ滞在はその第一期に当たる。アリストテレスはその思想形成にあたってプラトンに最も大きな影響を受けた。そしてプラトンの死後、後継者問題が勃発するのを契機にアリストテレスはアテナイを去る。これが第二期、遍歴時代の始まりである。この時期は自然研究への関心が深まるという点で特に重要な時期である。また、イエーガーによれば、アリストテレスがプラトンの哲学から離脱して四原因説や実体論のような彼自身の形而上学の中心思想を発展させたのはこの遍歴時代であった。小アジア・マケドニアの各地で過したのち、彼はアテナイへと戻り、リュケイオンにて学園を創始する。これがリュケイオン時代と呼ばれる彼の学問的活動の第三期最後の偉大な時代である。
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