「ペスタロッチーの教育思想について述べよ。」
ペスタロッチーは、子どもには将来発展する素質が備わっており、この素質が子供の内から発展するように助成するのが教育と考えている。また、ペスタロッチーは、真への認識、美の感情、善の力、これらは全て子どもが生まれながらに有しているものであり、教育者は子どもの内的本性が自ら実現していくのを援助する事に専念しなければならないと考え、子どもの内的本性に備わっていないものを、外部から注入することは教育にふさわしくないと考えるのである。
ペスタロッチーといえば、「直観の原理」だろう。直観の原理とは、直観は全ての認識の基礎であるので、教育方法はまず直観的でなくてはならないとされる。しかし直観において受け取ったものはまだ曖昧で混乱している。そのような曖昧な直観を明瞭な概念にすることが次に求められる。
ペスタロッチーは道徳的・宗教的陶冶を重要とするのであるが、彼は母子愛が最も道徳的・宗教的な基礎となると考えている。なぜなら母親が子どもに示す愛情こそが、子どもに信頼・従順・感謝の気持ちの原初的感情を生じさせるからだ。この感情を拡張して、市民として国に対する権利や義務の感情を芽生えさせることが可能になるとされる。母子の間で育まれる信頼・感謝・従順・忍耐の心が、道徳的生活の基になる。
「わが国中世におけるいわゆる寺入りについて述べよ。」
寺入りとは、子どもが読み書きの手ほどきを受けるために児となって寺院に入ることである。また、寺院は小学などと呼ばれ、「学校」とすら称され、打ち続く争乱と相俟って前代に栄えた大学寮・国学などの教育機関が衰微していたから、ほとんど当代唯一の教育機関として機能していたといってよい。
この寺入りは、10歳頃までに登山して、13、14歳頃得度しない者は下山し、およそ7年ほど修学するのが例であった(例外あり)。そして、最小限3年は学習すべきものであり、しかも、その間は寺院に寄宿するのが習慣であった。
寺入りでは、7、8歳では読み書きと遊びを区別せず、9、10歳までは次第不同に学習させ、11~13歳までの少年は所定の日課を踏んだ。このように子どもの発達段階に即して学習の順序を立てていた。
寺院での教育は、庶民より武家に必要なものが多く、寺院が武家の子弟に重きを置いた教育機関であった。また、著しく貴族的・武家的な内容の教育であった。
なお、寺院における初等教育は、手習・漢字・和歌・音楽などの知育的な面ばかりではなく、道徳上の訓育がこれと並んで大切であった。寺院の道徳的訓育はきわめて厳しく、道徳上の訓育がこれと並んで大切であった。
「わが国古代における漢字の受容や学習について述べよ。」
中国史料として最もまとまりがあり、かつ成立年代の古い文献は、周知の如く『三国志』の魏志倭人伝である。『三国志』は、『漢書』より約2世紀遅れるが、『後漢書』よりは1世紀以上成立が早い。その『三国志』に見える記事は、当時の日本の古代王権の代表としての邪馬台国に、漢文の読み書きのできる人物がいたことを示している。『三国志』に、当時のわが国と魏との間の文書のやり取りが認められる以上、少なくとも、十分に漢文の読み書きのできる人物が存在していたことは疑いない。
漢文学習の推移を跡づける。
まず、『日本書紀』の記載から窺うと、それまでの史部流といわれる漢文学習から脱却して、隋唐における南学北学統合の気運の中に生まれた新しい学問を積極的に取り入れ、長安における書法・発音を正しく学び取ろうとする時代要請が読み取れる。
「律令」は、公
「ペスタロッチーの教育思想について述べよ。」
ペスタロッチーは、子どもには将来発展する素質が備わっており、この素質が子供の内から発展するように助成するのが教育と考えている。また、ペスタロッチーは、真への認識、美の感情、善の力、これらは全て子どもが生まれながらに有しているものであり、教育者は子どもの内的本性が自ら実現していくのを援助する事に専念しなければならないと考え、子どもの内的本性に備わっていないものを、外部から注入することは教育にふさわしくないと考えるのである。
ペスタロッチーといえば、「直観の原理」だろう。直観の原理とは、直観は全ての認識の基礎であるので、教育方法はまず直観的でなくてはならないとされる。しかし直観において受け取ったものはまだ曖昧で混乱している。そのような曖昧な直観を明瞭な概念にすることが次に求められる。
ペスタロッチーは道徳的・宗教的陶冶を重要とするのであるが、彼は母子愛が最も道徳的・宗教的な基礎となると考えている。なぜなら母親が子どもに示す愛情こそが、子どもに信頼・従順・感謝の気持ちの原初的感情を生じさせるからだ。この感情を拡張して、市民として国に対する...