語の意味は、長い期間に渡って使われているうちに次第に動いていくことが多い。例えば、「あきらめる」は古代においては「明らむ」で物事を明らかにすることが基本義であった。しかし、時代が下がるにしたがって「諦める」の意味へと変化した。これは物の道理が明らかになる事は、結果として個人の意志ではどうにもならない事を悟る「諦念」に繋がるからである。この様に、新しい意味が原義に付加して、はじめの意味が廃れるのである。原義がそのまま引き続き用いられていれば、その語は複数の意味を持つ事になり、意味が拡大化する。そして辞書等の一般教養としての意味を探る参考書には、その単語の核となり変わることが無くその語の基本となるもの(プロトタイプ)を載せる。
また、新たに加わった意味からさらに別の意味が枝分かれする例も多い。「できる」が「出で来」で、「腫れ物ができる」の様に新しいものが現れ生まれる意味があった。それが抽象的な事柄に拡大使用されて「支度できる」「準備できる」などの整うという意味が付与され、「食事ができる」のように可能の意味へと発展し、さらに「彼はできる」と能力のあること、優秀さの意味にまで移っていく。原義も...