私はこの授業を受けるまでドメスティック・バイオレンスというものは家庭内で夫が妻に対して行う暴力行為を指すという認識しか持っておらず、しかもそのようなDVを行う人間というのは学歴も低く、職業的にも社会的地位の低い職業に従事している人間が多いのではないかというある種偏見とも受取れる考えを持っていた。しかし数々の女性達の体験談を聞いて、DVは決してある特定の共通した境遇にある人間が行うのではなく、だれもがその行為を行う可能性を秘め、また誰もがその被害に遭う危険があるということを知り、暴力以外にも経済的、精神的などの暴力もDVに含まれることを考えると、このDVは非常に大きな社会問題であるという認識に至った。このような経緯で4回の中で最も印象に残り、この問題について考えてみたいと思った。
DVの根絶を考えた場合、現在の女性を取り巻く社会の構造を変えなければ何も変わらないだろうと思う。DV法の成立によって暴力を受けている女性の救済に目が向けられるようになったが、この法律ではDVの表面的に現れる夫(恋人)からの暴力を一時凌ぎで回避することしかできない。いやそれすら可能か疑問である。
長い間女性は男性に支配される形で生活を送ってきた。性差別の根絶が難しいのは、それが巧妙に一見それとはわからないやり方で、社会の隅々に浸透しているからだと思う。結婚が幸せを運ぶものであるという社会の考えや、女性には母性本能があるという考え、結婚後夫の姓を名乗ることで国家が国民の管理を容易にしている点などは、一見わかりにくいが女性を夫に扶養されるべき存在であり、女性が一人前の労働者として生きていくことを容認しないということと同じだと思う。
選んだテーマ:第三回「人生案内」に観る暴力と非暴力。言葉の発見とその普及。
私はこの授業を受けるまでドメスティック・バイオレンスというものは家庭内で夫が妻に対して行う暴力行為を指すという認識しか持っておらず、しかもそのようなDVを行う人間というのは学歴も低く、職業的にも社会的地位の低い職業に従事している人間が多いのではないかというある種偏見とも受取れる考えを持っていた。しかし数々の女性達の体験談を聞いて、DVは決してある特定の共通した境遇にある人間が行うのではなく、だれもがその行為を行う可能性を秘め、また誰もがその被害に遭う危険があるということを知り、暴力以外にも経済的、精神的などの暴力もDVに含まれることを考えると、このDVは非常に大きな社会問題であるという認識に至った。このような経緯で4回の中で最も印象に残り、この問題について考えてみたいと思った。 DVの根絶を考えた場合、現在の女性を取り巻く社会の構造を変えなければ何も変わらないだろうと思う。DV法の成立によって暴力を受けている女性の救済に目が向けられるようになったが、この法律ではDVの表面的に現れる夫(恋人)からの暴力を一時...