祭りの伝統と東アジアからの影響

閲覧数1,736
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    祭りの“伝統”と東アジアからの影響
     祭りとは一体何か。柳田國男氏は祭りとは、「それが何を要点とし、どれだけの範囲に及ぶのかということは、今でも普通の人にはほぼ判っている。」〔柳田國男全集 13 -P241引用〕また、「四季の循環、(中略)我々の祭はこれを目標にして、昔から今まで繰り返されていたのである。(中略)祭りは国民信仰の、言わばただ一つの飛石であった」〔同上〕と述べている。我々一般人もこの見解と同様であろう。生まれた時から、我が町の祭りは伝統的なものであったはずだ。
    しかし、その”伝統”は、本当に普遍的かつ独立して受け継がれてきたのか。・・・

    タグ

    祭り柳田國男祇園祭歴史史学文化

    代表キーワード

    文化史学りの伝統

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    祭りの“伝統”と東アジアからの影響
     祭りとは一体何か。柳田國男氏は祭りとは、「それが何を要点とし、どれだけの範囲に及ぶのかということは、今でも普通の人にはほぼ判っている。」〔柳田國男全集 13 -P241引用〕また、「四季の循環、(中略)我々の祭はこれを目標にして、昔から今まで繰り返されていたのである。(中略)祭りは国民信仰の、言わばただ一つの飛石であった」〔同上〕と述べている。我々一般人もこの見解と同様であろう。生まれた時から、我が町の祭りは伝統的なものであったはずだ。
    しかし、その”伝統”は、本当に普遍的かつ独立して受け継がれてきたのか。例えば、札幌市の「YOSAKOIソーラン祭り」は、わずか15年前に、高知のよさこいと北海道のソーラン節がミックスされ生まれた祭りである。これでは、先述の祭りの定義にそぐわない。しかし、もし100年後も続いているとすれば、その時には“我が町の伝統”と位置づけられているだろう。なぜなら、誰もにとって、生まれた時から存在する伝統行事であるからだ。同様に考えると、どの祭りも、異なる文化や時代の潮流に影響されたのではないか。もしそうならば、どのように影響を...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。