感想
ヌエル人の少年が受けたガルという成人式にしても、教科書に書いてある成人式にしても、
すべてに共通しているのは、ある種の試練(肉体的、精神的な違いはあるにしても)である、ということであるように思われる。例えばガルでは男の子が頭を切られて苦痛にゆがむ顔が印象的であったが、では、このように苦痛を味あわせる理由はなんだろうか?男性は狩にでなければいけないので、怪我をすることも必然的に多くなるはずであり、それに慣れるためである。とも考えられるが、ここでもうひとつ注目すべきことは、成人式は性の確立(子供から男、女へ)と強く結びついているということである。男、女にあることで、結婚、性交、そして出産などが初めて可能になる。それらの行動には大きな責任が伴い、大人の自覚が必要となる。試練を受けることで、大人の男女としての自覚をはっきりさせるという目的があるように私は思う。
では振り返ってみて、日本の成人式はどうだろうか?
日本の成人式
まず、日本の成人式がこれまでに見てきた成人式と異なる点を考えてみると、ほとんど試練とは考えられない点、そして男、女へと変わるわけではない点の2つが大きな差異だと思われる。特に授業と関係ある2つめの点について、では成人式にはジェンダー的なものは1つもないのだろうか。一番初めに目に付くのは衣装である。現在でも、男性はスーツ、女性は着物を着ることがほとんどであり、女性がスーツを着ているのを見ることは少ない。ここに、教科書の例やガルとの共通点を見出すことは可能だろうか?
現代人類学基礎論
感想
ヌエル人の少年が受けたガルという成人式にしても、教科書に書いてある成人式にしても、
すべてに共通しているのは、ある種の試練(肉体的、精神的な違いはあるにしても)である、ということであるように思われる。例えばガルでは男の子が頭を切られて苦痛にゆがむ顔が印象的であったが、では、このように苦痛を味あわせる理由はなんだろうか?男性は狩にでなければいけないので、怪我をすることも必然的に多くなるはずであり、それに慣れるためである。とも考えられるが、ここでもうひとつ注目すべきことは、成人式は性の確立(子供から男、女へ)と強く結びついているということである。男、女にあることで、結婚、性...