夏目漱石の短編集は傾向として、二つの長編小説にはさまれる形で発表される場合が多い。「永日小品」もその例に漏れず、『三四郎』と『それから』の間に発表されている。明治四十二年(一九〇九)一月十四日から二月十四日までの一ヶ月間、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に掲載された。「暖かい夢」は、その「永日小品」の中にある作品である。
「暖かい夢」は街の様子から始まる。きついビル風、そこで客を待つ御者、道を行く人々。道を行く人々は男も女も皆せっぱ詰まっていて、語り手である「自分」を追い越していく。どの人間も同じに見えるのか、道を行く人々の描写は皆一様である。
しかし、御者の描写はひどく詳しい。目で見たことだけではなく、耳にしたことまで描写されている。同じ街中にいる人間なのに、道を行く人と御者でなぜこれだけ「自分」の注意が違うのか。
街の人間は皆、「自分」を見ない。「自分」はここに確かに存在するのに、いてもいなくても変わらないかのように「自分」を素通りする。男も女も自分の行くべき方向を見据え急ぐだけで、わき目もふらない。無論、「自分」などその人々の目にはうつらない。少なくとも「自分」はそう感じている。言いようのない孤独と不安と戸惑いを感じている。居づらさを感じている。その居づらさを消すには、周りの人々と同様、「自分」も脇目もふらずに道を急げば良いのであろう。周りを見ずに、気にせずに、ひたすらにわが志す道だけを見据えて一直線に走れば良いのであろう。しかし「自分」にはそれができない。のそのそ歩くことしかできない。「自分」には、我が志す方などないのかもしれない。志す方がある周りの人々の中で、「自分」だけが志す方がない。だから居づらさを感じているのかもしれない。どこへ行っていいのかわからない不安が「自分」と周りの世界を隔てるのだ。
しかし、御者は違う。御者は、「自分」に目を向けてくれる。それが仕事のためだけだとしても、御者だけは「自分」を人間と認めて目を向けた。
「暖かい夢」
夏目漱石の短編集は傾向として、二つの長編小説にはさまれる形で発表される場合が多い。「永日小品」もその例に漏れず、『三四郎』と『それから』の間に発表されている。明治四十二年(一九〇九)一月十四日から二月十四日までの一ヶ月間、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に掲載された。「暖かい夢」は、その「永日小品」の中にある作品である。
「暖かい夢」は街の様子から始まる。きついビル風、そこで客を待つ御者、道を行く人々。道を行く人々は男も女も皆せっぱ詰まっていて、語り手である「自分」を追い越していく。どの人間も同じに見えるのか、道を行く人々の描写は皆一様である。
しかし、御者の描写はひどく詳しい。目で見たことだけではなく、耳にしたことまで描写されている。同じ街中にいる人間なのに、道を行く人と御者でなぜこれだけ「自分」の注意が違うのか。
街の人間は皆、「自分」を見ない。「自分」はここに確かに存在するのに、いてもいなくても変わらないかのように「自分」を素通りする。男も女も自分の行くべき方向を見据え急ぐだけで、わき目もふらない。無論、「自分」などその人々の目にはうつらない。少なくとも...