京劇は、数千年にも渡る中国の歴史の中では珍しく大器晩成型の文化である。この京劇の歴史は同時に、辛亥革命・日中戦争・中華人民共和国成立・文化革命という、中国近代史の激動の時期に重なるものである。当時の京劇を通して近代中国を見てみようと思う。
京劇は、清の乾隆帝が、自身の誕生祝賀のために南方から呼び寄せた地方演劇が人気を呼び、それが北京化して成立したものだという。これは、当時漢民族の文化が虐げられていたにも関わらず、舞台の上ではそれが緩やかだった(漢民族の役の者が満州族の役の者をやっつけることもできた)ため、演劇が盛んになっていたという背景も重なっている。
清末期から中華民国初期の、列強の圧迫に苦しんでいた中国では、西欧文明に対して自らの文化を自虐的に見る向きが強かった。世界的には歌や踊りを基調とするものから科白主体なものへと変わっていったが、中国では京劇が「原始的」な姿を残しつつ独特な進化を遂げていたために、近代中国では、京劇が野蛮なものであると否定的に見る知識人が多かったのである。しかし、そうした知識人とは裏腹に、一般の民衆は京劇を熱狂的に支持していた。彼らの識字率は低かったが、京劇を通して彼らは他の文明圏に比類を見られないほどに歴史に通じていた。もしも芝居を改革し、彼ら一般大衆の意識を改革することができれば、中国は一挙に近代化を成し遂げることができるのではないか? こうして、二十世紀に中国の芝居、特に京劇の改革が始められる。そして、それは毛沢東が死ぬまで続けられるのである。
二十世紀始め、京劇は日本人にも愛されていた。当時随一の俳優である梅蘭芳の日本公演では、高価なチケットが飛ぶように売れた。彼は初めての日本公演の際、戦争で負けた中国を侮る日本人に対して、中国文化の素晴らしさを見せ付けてやる気概を持って行ったという。
京劇と近代中国の変遷
京劇は、数千年にも渡る中国の歴史の中では珍しく大器晩成型の文化である。この京劇の歴史は同時に、辛亥革命・日中戦争・中華人民共和国成立・文化革命という、中国近代史の激動の時期に重なるものである。当時の京劇を通して近代中国を見てみようと思う。
京劇は、清の乾隆帝が、自身の誕生祝賀のために南方から呼び寄せた地方演劇が人気を呼び、それが北京化して成立したものだという。これは、当時漢民族の文化が虐げられていたにも関わらず、舞台の上ではそれが緩やかだった(漢民族の役の者が満州族の役の者をやっつけることもできた)ため、演劇が盛んになっていたという背景も重なっている。
清末期から中華民国初期の、列強の圧迫に苦しんでいた中国では、西欧文明に対して自らの文化を自虐的に見る向きが強かった。世界的には歌や踊りを基調とするものから科白主体なものへと変わっていったが、中国では京劇が「原始的」な姿を残しつつ独特な進化を遂げていたために、近代中国では、京劇が野蛮なものであると否定的に見る知識人が多かったのである。しかし、そうした知識人とは裏腹に、一般の民衆は京劇を熱狂的に支持していた。彼らの識字...