教育問題について議論される時、たいていの場合非難の矢面に立たされるのが「学校」とそれに携わる教職員である。昨今において大きな社会問題となっているいじめ、そしてそれによる自殺の問題、また学力低下の問題など、教育関係の問題は未だ絶えることなく世間を揺るがしている。そして、その原因として取り上げられるのが学校、その中でもとりわけ「公立学校」に注目されることが多い。その理由としては学校における教育の現場と言うものを、我々が知らな過ぎることが挙げられるのではないだろうか。
教育問題について議論される時、たいていの場合非難の矢面に立たされるのが「学校」とそれに携わる教職員である。昨今において大きな社会問題となっているいじめ、そしてそれによる自殺の問題、また学力低下の問題など、教育関係の問題は未だ絶えることなく世間を揺るがしている。そして、その原因として取り上げられるのが学校、その中でもとりわけ「公立学校」に注目されることが多い。その理由としては学校における教育の現場と言うものを、我々が知らな過ぎることが挙げられるのではないだろうか。実際、私は教育の現場なんて、学校に通っていた生徒としての目線でしか知らない。そして、多くの人がそうなのではないかと思う。教頭先生という役職が何のために存在してどんな仕事をしているのか、なんて大学に来て講義を受けるまで知らなかったし、知ろうともしていなかった。現代の社会で深く根付いた様々な問題は、学校の閉塞性だけでなく、それを理由に学校について知ろうともしない我々地域の人間にも原因があるのではないかと思う。
だがしかし、そんな我々地域に携わる人間に対して学校とそこで行われている教育について理解を求める教育の改革として「開かれた...