日本は経済大国として各国から呼ばれて久しい。それはもう私が生まれる前からである。生まれた瞬間から経済大国である我が国、日本に生まれた私には、今のこの日本の現状は真なる豊かさに沿っていると言えるのか・・・という疑問が湧いてきていた。そこで今回の機会にぜひ真の豊かさについて考えたい。実例から考えるほうが明解なため、日本を題材に考えたいと思う。
わが身に問う。日本は本当に豊かなのかどうかと。
まずは、社会全体から考えていく。日本人は「活力ある社会」等の言葉を好んで使うと私は考える。これは政府や経団連等を見ればよく分かることである。活力ある社会を構築していくにはやはり生活基盤がしっかりとしていなければいけないと考える。なぜなら、生計を立てることがいつも不確実なことに左右されてしまうと、生活の予定さえ立たないであろう。例えば、重度の障害を持った人が活力ある行動をするには、やはりしっかりとした看護や支援(バックアップ)が必要不可欠である。看護や支援があることで、不安無く行動ができるのである。こういった生活基盤なるものが日本には十分に備わっているだろうか。
私には十分備わっているようには見えない。こういった生活基盤とか、社会的共通資本とよばれる、社会の共有財産に対して使われるお金というのは建築でいえば、もっとも大切な基礎工事のようなものである。すなわち、この部分は個人消費のように市場の売買を通して一般に目に付くものではない。また、企業や政府の交際費のような贅沢かつきらびやかな消費でもない。
しかし、人々の自助自立、自由、ゆとり、助け合いの心などは、弱肉強食で万人が万人を敵とするような社会は、人間が自主的に創造的な活力を発揮する社会とは質的に違う。
真なる豊かさとは
日本は経済大国として各国から呼ばれて久しい。それはもう私が生まれる前からである。生まれた瞬間から経済大国である我が国、日本に生まれた私には、今のこの日本の現状は真なる豊かさに沿っていると言えるのか・・・という疑問が湧いてきていた。そこで今回の機会にぜひ真の豊かさについて考えたい。実例から考えるほうが明解なため、日本を題材に考えたいと思う。
わが身に問う。日本は本当に豊かなのかどうかと。
まずは、社会全体から考えていく。日本人は「活力ある社会」等の言葉を好んで使うと私は考える。これは政府や経団連等を見ればよく分かることである。活力ある社会を構築していくにはやはり生活基盤がしっかりとしていなければいけないと考える。なぜなら、生計を立てることがいつも不確実なことに左右されてしまうと、生活の予定さえ立たないであろう。例えば、重度の障害を持った人が活力ある行動をするには、やはりしっかりとした看護や支援(バックアップ)が必要不可欠である。看護や支援があることで、不安無く行動ができるのである。こういった生活基盤なるものが日本には十分に備わっているだろうか。
私には十分備わっているよ...