世説新語について

閲覧数3,548
ダウンロード数1
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    1.『世説新語』について
     『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
     この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
    2.『世説新語』と日本文学
     『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影響をもたらした。部屋の中と外で都が近いか太陽が近いかを言い分けた、夙恵篇十二の明帝の逸話が、『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』、また『枕草子』までもに引用されていることは、とても興味を持った。『枕草子』の二二三段では、命婦の歌の中になんともさりげなく用いられている感じられるところに、驚き、また感心した。確かに、日向と都が対比され、明るいと暗いが、明帝の逸話を思い出させる。清少納言は少なからず、この明帝の逸話の影響を受け、作品に用いたのだろう。
     この明帝の話は、幼い明帝の機転をきかせた優れた発言にはっとさせられ、その頭の良さにとても関心させられる話である。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    1.『世説新語』について
     『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
     この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
    2.『世説新語』と日本文学
     『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。