一、お伽草子以前
日本の物語の祖は、『源氏物語』の「絵合巻」にもあるように『竹取物語』である。その後、十一世紀初頭に物語文学の最高傑作である『源氏物語』が現れる。しかし以後、物語文学は退廃の一途をたどっていく。鎌倉時代になると、「公家が公家の世界を描き、そうして公家が読み書き鑑賞したもので、平安期から鎌倉時代におけるまで主要人物は殆ど公家に限られていた」と国文学資料館市古貞二館長が示すとおり、王朝物語を模倣した擬古物語である。また、イジメなどの描写が露骨に描かれており、武家社会の勧善懲悪がここにも反映していることが明らかである。そのような擬古物語から、まず公家物お伽草子が生まれた。お伽草子は古雅の体裁と内容とがよく釣り合っており、子女の読み物としてふさわしいと考えられたために、享受者が増えていったものだと思われる。
二、お伽草子の内容における分類
そのような時代を経て、室町時代後期から江戸時代前期にかけてお伽草子が出現することになった。その史的背景について、市古館長が『中世小説の研究』という著書の中で指摘している。以下は私なりにまとめてみたものである。まず第一に社会層の変動、力あるものが成り上がることができる下克上の現象が挙げられる。文芸においても、あらゆる身分の者が主人公に成り得ることができた。しかしそれは逆に、力の無い弱い民衆にとって、生活の困難や不安が引き起こされる結果となった。そのような乱世の中で、社会は一層の混乱を極めたが一方で道義、教訓が盛んに説かれるようになった。世情の不安と道徳の背馳とが二律背反していた状況であったといえる。このような世相の中、デマや怪談が流行し、末世であるという観念が次第に浸透してきた。とはいうものの、人々が不安から逃れて暮らすためには、刹那的な享楽というものが必要とされた。
文学史における御伽草子の意義
一、お伽草子以前
日本の物語の祖は、『源氏物語』の「絵合巻」にもあるように『竹取物語』である。その後、十一世紀初頭に物語文学の最高傑作である『源氏物語』が現れる。しかし以後、物語文学は退廃の一途をたどっていく。鎌倉時代になると、「公家が公家の世界を描き、そうして公家が読み書き鑑賞したもので、平安期から鎌倉時代におけるまで主要人物は殆ど公家に限られていた」と国文学資料館市古貞二館長が示すとおり、王朝物語を模倣した擬古物語である。また、イジメなどの描写が露骨に描かれており、武家社会の勧善懲悪がここにも反映していることが明らかである。そのような擬古物語から、まず公家物お伽草子が生まれた。お伽草子は古雅の体裁と内容とがよく釣り合っており、子女の読み物としてふさわしいと考えられたために、享受者が増えていったものだと思われる。
二、お伽草子の内容における分類
そのような時代を経て、室町時代後期から江戸時代前期にかけてお伽草子が出現することになった。その史的背景について、市古館長が『中世小説の研究』という著書の中で指摘している。以下は私なりにまとめてみたものである。ま...