説経節「をぐり」で餓鬼阿弥の身を得て生き返った小栗は様々な村人の手に連れ添われ熊野の温泉に浸かり、その霊験によって復活を遂げる。その村人の中には照手姫の姿もあり、土車の上の餓鬼阿弥が夫の小栗であるとは知らずに長殿に暇を貰い、車を引いた。しかし「小栗判官物語」では照手は横山氏の策略で口にした毒酒によって病を患い、これを回復させる為に道中で人の力を借りながら自ら熊野湯を目指している。どちらにせよ餓鬼阿弥が熊野に向かう間照手の姿がある。そして土車を運ぶ多くの村人も居る。
餓鬼阿弥は胸に「この者を一引き引いたは千憎供養、二引き引いたは万憎供養」と書かれた札を下げていた。常陸小萩は夫の供養の為を願った。死者に対する哀れみと、静かに成仏して欲しいと願いは熊野に宿るとされる神々に祈られた。もはや人の姿でない餓鬼阿弥も、目も耳も口も不自由となった小栗判官も人々は己の身に降りかかる災厄をその中に見つめ、熊野湯にあたることで、餓鬼阿弥が人の姿に戻ったように、小栗判官の病が治ったように、その霊験を信じ、信仰となったのだろう。
説経節として民衆に語られた「をぐり」は熊野の信仰を広めるのに大きな役割を果たした。もとは俗化してしまった宗教信仰に飽き足らなくなってしまった貴族達が、山岳信仰に救いを求めて現世の極楽に向かうために険しい山を登り苦行としたものであった。その修行の果てに魂が救われることを望み、古代の神々が住まうとされる山の自然を敬うことで宗教を生み出したのだ。しかしただ苦行と唱えただけでは民にはそれほど広まらない。如何に霊験高いものと行っても日々の暮らしを送るので精一杯な人々がどうしてさらなる苦しみを望むだろうか。
熊野には餓鬼阿弥が浸かったとされる湯の峰温泉のつぼ湯がある。これは現在日本最古のお湯として名高く、高温の温泉が自噴している薬効高い湯治場として有名である。
説経節「をぐり」で餓鬼阿弥の身を得て生き返った小栗は様々な村人の手に連れ添われ熊野の温泉に浸かり、その霊験によって復活を遂げる。その村人の中には照手姫の姿もあり、土車の上の餓鬼阿弥が夫の小栗であるとは知らずに長殿に暇を貰い、車を引いた。しかし「小栗判官物語」では照手は横山氏の策略で口にした毒酒によって病を患い、これを回復させる為に道中で人の力を借りながら自ら熊野湯を目指している。どちらにせよ餓鬼阿弥が熊野に向かう間照手の姿がある。そして土車を運ぶ多くの村人も居る。
餓鬼阿弥は胸に「この者を一引き引いたは千憎供養、二引き引いたは万憎供養」と書かれた札を下げていた。常陸小萩は夫の供養の為を願った。死者に対する哀れみと、静かに成仏して欲しいと願いは熊野に宿るとされる神々に祈られた。もはや人の姿でない餓鬼阿弥も、目も耳も口も不自由となった小栗判官も人々は己の身に降りかかる災厄をその中に見つめ、熊野湯にあたることで、餓鬼阿弥が人の姿に戻ったように、小栗判官の病が治ったように、その霊験を信じ、信仰となったのだろう。
説経節として民衆に語られた「をぐり」は熊野の信仰を広めるのに大きな役割を果た...