現代社会における議会制民主主義について述べよ

閲覧数2,360
ダウンロード数41
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 全体公開

    タグ

    資料の原本内容

       「現代社会における議会制民主主義について述べよ。」
     現代社会における議会制は民主主義とは深く関係しており、国家の主権が国民にあるとする民主主義の思想において欠かせないものである。これについて以下のように述べる。
     国家の権力は近代において3つの支配体制が取られていた。天皇制や君主制のように、支配者の権力が国家にいて歴史的伝統を持っていたためにそれに対する信頼感から正当性が持たれていた「伝統的支配」、特定の個人の超人的及び天才的能力、理想的模範性などに対する畏敬の念から服従の基盤が作られていた「カリスマ的支配」、そして現代における民主主義の根本である法によって政治を行う「合法的支配」である。この中で民主制の根本となる合法的支配は、現代のように議会による政治が行われており、現代民主主義の基盤であるといえる。現代民主主義の思想は社会契約説として、中世の思想家であるホッブズ・ロック・ルソーによってそれぞれ提唱されていたが、その思想はそれぞれ異なるものであった。ここでは、その思想をそれぞれあげるとともに、現代民主主義の基本思想であるモンテスキューの思想について述べる。
     ホッブズによる社会契約説の自然状態とは、「人間は自己保存の欲求に基づく利己心の主体であるため、自然状態では各人が自分の権利を主張して争う状態である、万人の万人に対する闘争となる」というものであった。これによる社会契約とは、闘争を回避するために各人が自己保存を図る権利である自然権を放棄し、統治者に対する服従を誓うというものであり、絶対王政を擁護する思想であると考えられていたのである。
     ロックの提唱した自然状態とは、「人間は理性的で自由な個人であり、自然状態ではおおむね各人が自由で平等に共存するが、権利を侵害される可能性もある」としたものである。これにより、社会契約においては、「政治的社会発生以前の自然状態は侵害される可能性もあるため、自然権の一部を統治者に信託しその保護を求める」といったものになり、革命に対し多大なる影響をもたらすものとなったのである。
     ルソーによる自然状態では、「人間は善でも悪でもなくあるがままの自然人であり、自然状態では各人が孤立して自足するが、文明の発達後は貧富の差が発生し、人民の自由と平和が失われる」としたものであり、これに基づいた社会契約では「自然権を社会全体に譲渡することで政治社会を作り上げ、直接民主制を取るべきである」とし、フランス革命に影響を与えたのである。
     また、政治上での権力集中を避けるべく「三権分立」を提唱したモンテスキューは、ロックの提唱した立法権を最高権力とし執行権及び同盟権を抑制させる思想を発展させ、議会の持つ「立法権」、国王の持つ「行政権」、裁判所の持つ「司法権」という基本原理を見出し、後の議会民主制の基盤を生み出した人物である。これを受け、アメリカ大統領であったリンカーンは南北戦争の際に、「人民の、人民による、人民のための政治」という「国民主権」の基本思想を提唱したのである。
     上記のような思想を基本として、議員は国民の代表であるとする「国民代表の原理」、十分な討議の後、最終的に多数決の原理によって物事を決定する「審議の原理」、議会が行政を監督するという「監督の原理」といった現代の間接民主制の基本原理が作られ、議会政治および民主制の基盤が固められたのである。
     しかし、こうした流れの中で確固たる制度となった議会民主主義に対し、現代社会においては、主権者である国民の意思を十分に反映させるものとして機能していないという批判が生まれ、わが国においても投票率が年々低下し50%を割ることも珍しくない状況になっている。こうした影響は国民の政治に対する不信感から来ているものだといえる。ここでは、これらの議会制民主主義の問題点とその解決策について述べる。
     まず、現代における議会制民主主義の問題点として、最初に思い浮かぶのが議院における決定権である。三権分立により、権力の集中を防いだはずの議会制民主主義において、権力を持つ党派や個人が生まれることは原理上不可能である。それにもかかわらず、現代社会においてはわが国における自民党からも分かるように政権をとり続け、内閣において絶対とも呼べる権力を誇っている。これは民主主義という思想においてあってはならないものである。この権力の集中を解決し、よりよい政治を実行するためには、少なくとも議席数の公平化及び内閣における自民党の勢力縮小や、国民による総投票などを実施するべきなのではないかと考えられる。
     次に、議員選挙時の候補者による公約の未達成があげられる。選挙時には、「よりよい社会を作るために税金を減らす」「保育施設や託児所の充実」など、国民から多くの賛成を得ることを目標にさまざまな公約を打ち出してはいるが、いざ当選となったときにその公約を実行する議員などほとんど例に見ない。また、これに伴い有権者側も公約達成の是非を確認しないことも問題となる。確認しようとしても手段がなかなか見つからず、泣き寝入りすることのほうが多いとも言える。この解決策として、選挙において当選した場合には議員の持つ公約を必ず実行することを義務付けるよう制定することや、有権者に対し自宅のパソコンや携帯などから議員の公約の達成の是非及び今後の課題などを公表したホームページなどを見られるよう一般公開することが考えられる。
     さらに、投票率の低下も大きな問題点である。本来、投票は国民の義務であると同時に権利であるため、必ず投票日には指定場所に行き投票することが前提とされているのだが、多くの20代の若者などにおいては「誰に投票しても一緒」「どうせ投票するなら有名人に入れる」などと考え、政治に関する興味関心をまったく持っていない者も数多く存在する。このように、国の未来を担うべき若者が投票に行かないというならば、投票率が低下するのも当然であるといえる。これを解決するには、まず投票が義務であるということを積極的にCMなどでも放送するとともに、少しでも若者が選挙及び政治に興味関心を抱くように、立候補者の年齢規定を20歳以上とする、立候補者は街頭演説や街中を選挙カーで移動しながら演説をするだけでなく高校や大学などに行き、積極的に若い世代に語りかけるなどといった努力が必要となる。
     以上のように、議会制民主主義は時代とともにその思想も固められ、政権体制はゆるぎないものとなった。しかしその一方で、政治を司り国家に対し責任を持つべき人間の堕落や、内閣制度内における派閥の拡大、国家の未来に希望を持ち担うべき世代の政治への興味関心が薄れているなどといった問題点が数多く見られるようになったのも事実である。こうした現代社会をいかに立て直し、改善する努力を見せるかがこれからの議会制民主主義における課題なのであり、それと同時に議会制民主主義の未来になるのであると考える。
    参考文献
    浜省書店 『政経』 浜省書店編集部 2001

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。