「ニート急増」という問題について、国は、「3ヶ月の合宿を通して、コミュニケーション能力の強化、ビジネスマナーの獲得をして、就職に有利な人間作りをする」という対策を考えているという(「東奥日報」 出典:文末)。この対策を知ったとき、私は、コミュニケーション能力とはなんだろう、と思ってしまった。またそれ以上に、ニートが身につけなければならないとされるのは、就職に有利な人間となることなのだろうか、と感じた。確かに、職にも就かず、学生でもなく、職業訓練もしていない人は社会的に有利な立場にあるとは言いがたい。しかし、それでもなんとか暮らせてしまっているのが、今の日本社会なのである。そう考えると、働こうとしない、あるいは働く必要を感じない人々に、働く際に有利な技術を提供しても、根本的な解決にはならないのではないか、と私は考える。
ニートが増えている、という実態について考える際、コミュニケーションに着目することは、とても大切だと思う。しかし、そのコミュニケーションは、果たして「能力」という概念でくくられてしまってよいのだろうか。能力というと、私はどうしても、「人より優れている力」というイメージをもってしまう。人よりうまくコミュニケーションをはかることができるかどうか、ということが問題なのだろうか。ニートとなる人々が抱えるコミュニケーションについての問題点は、そういった能力ではなく、「人とうまく関わることができない自分を認められない、あるいは大切にすることができない」という点にあるのではないかと私は思う。
この「人と関わる」ということについて考察することで、ニート急増について考えていきたいと思う。
「意図的な隠蔽ではなくても、完全なかたちで知識や情報として伝えきれない内容も、『秘密』の範疇に入る」(菅野仁「ジンメル・つながりの哲学」142頁)
「ニート急増」という問題について
「かかわりをもつ力」
「ニート急増」という問題について、国は、「3ヶ月の合宿を通して、コミュニケーション能力の強化、ビジネスマナーの獲得をして、就職に有利な人間作りをする」という対策を考えているという(「東奥日報」 出典:文末)。この対策を知ったとき、私は、コミュニケーション能力とはなんだろう、と思ってしまった。またそれ以上に、ニートが身につけなければならないとされるのは、就職に有利な人間となることなのだろうか、と感じた。確かに、職にも就かず、学生でもなく、職業訓練もしていない人は社会的に有利な立場にあるとは言いがたい。しかし、それでもなんとか暮らせてしまっているのが、今の日本社会なのである。そう考えると、働こうとしない、あるいは働く必要を感じない人々に、働く際に有利な技術を提供しても、根本的な解決にはならないのではないか、と私は考える。
ニートが増えている、という実態について考える際、コミュニケーションに着目することは、とても大切だと思う。しかし、そのコミュニケーションは、果たして「能力」という概念でくくられてしまってよいのだろうか。能力というと...