私は「人がヒトとして生きていくために必要なもの」について考えてみた。ただぼんくらに生活するだけならば、水と食料など生活に最低限のものがあれば問題ないだろうが、それではとてもヒトとして生きているとは言い難い。人間が社会的動物と呼ばれるのにふさわしく生きるのには何が必要だろうか? それについて私の意見を述べていこう。
人がヒトとして生きるのに不可欠だと私が考えるもの、それは第一に「確たるもの」である。弱い人間が生きる為には何かに頼る必要があり、それがこれだとわたしは考える。しかしこれだけでは抽象度が高く、また意味合いとしてもよくわからないのでこれからじっくり説明していこう。
例えば、あなたは「1+1=2」という小学生でもわかるこの式を見て疑問に思ったことがあるだろうか? もちろんこの式は正しいのだが、しかしよく考えると本当に正しいといえるだろうか? この 1 という数字や = という記号はあくまでも人間が作ったものであり、いわば人間による解釈なのである。「1+1=2 であることを証明せよ」と言われたらあなたならどうするだろうか? おそらく証明できないであろう。なぜなら 1+1=2 というのはあくまでも人間の解釈なのであり、それを証明することなど不可能だからである。このような例のほかにも、あらゆる法則・真理などにおいてすべて人間の解釈が入っており、絶対に正しいものなんてものはこの世界に存在しないと私は考える。
それではなぜ人間だけのための解釈が必要なのだろうか? ここでちょっと人間の解釈がない世界を考えてみよう―この世界では人間の考えたあらゆる法則・真理というものが存在しない。それゆえにこの世界はまさに混沌としている状態なのである。時間もわからなければ自分がどこにいるかもわからない、挙句の果てには自分が何者かさえわからない。
私は「人がヒトとして生きていくために必要なもの」について考えてみた。ただぼんくらに生活するだけならば、水と食料など生活に最低限のものがあれば問題ないだろうが、それではとてもヒトとして生きているとは言い難い。人間が社会的動物と呼ばれるのにふさわしく生きるのには何が必要だろうか? それについて私の意見を述べていこう。
人がヒトとして生きるのに不可欠だと私が考えるもの、それは第一に「確たるもの」である。弱い人間が生きる為には何かに頼る必要があり、それがこれだとわたしは考える。しかしこれだけでは抽象度が高く、また意味合いとしてもよくわからないのでこれからじっくり説明していこう。
例えば、あなたは「1+1=2」という小学生でもわかるこの式を見て疑問に思ったことがあるだろうか? もちろんこの式は正しいのだが、しかしよく考えると本当に正しいといえるだろうか? この 1 という数字や = という記号はあくまでも人間が作ったものであり、いわば人間による解釈なのである。「1+1=2 であることを証明せよ」と言われたらあなたならどうするだろうか? おそらく証明できないであろう。なぜなら 1+1=2 というの...