一遍上人の概要

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    資料紹介

     一遍の根本となっている思想は十一不二頌である。そこから必然的に捨て聖となった。十一不二頌という信念を確立した一遍は賦算という形で布教に成功した。十一不二頌は法蔵菩薩が仏の悟りを得て南無阿弥陀仏になったことと、凡夫が1度の念仏により往生することと同じだということであった。ただし念仏は空念仏でなければならない。それが捨て聖と呼ばれるところにつながる。そして六十万人の頌でその1回の念仏の意味をうたっている。それは、南無阿弥陀仏は1回唱えるだけで仏陀の悟った永久不変の真理を悟る、ということである。踊念仏はそのような思想の上に成り立つものであり、それゆえに融通念仏でもあった。自分の唱える念仏の功徳はすべて他人の功徳となり、他人の唱える念仏の功徳は自分の功徳にもなる。衆生が1度の念仏を唱えることによって、同時に法蔵菩薩も南無阿弥陀仏となるのである。
     踊念仏は自然に喜びを表す表現として踊ったようであるが、それごく自然なことでおかしくはないと思う。
     一遍が念仏に踊りを取り入れた理由には布教を成功させるという意味合いもあったようだ。初めは誰もが踊り形式も特に決まっていなかったものが、後には踊屋まで作り、時衆の僧尼しか踊れないようになっていた。これから明らかに時衆の宗風として発展させたことがわかる。もちろん、これが成功したのには遊行を行っていたからだ。
     遊行についてだが、全てを捨てている一遍にとって相当過酷なものであったと想像できる。着るものさえ寄進を受けた、破れた布である。持ち物も必要最低限の十二道具のみである。十二道具は、阿弥陀仏の光明の12種類の功徳から生まれた十二光仏に対応している。一遍が十二道具を定め、十二光箱を作ったのも、この十二光仏に関係する。やはり全てを捨てると言っても必要最低限のものは残さなければならなかった。

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    一遍踊念仏

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     一遍の根本となっている思想は十一不二頌である。そこから必然的に捨て聖となった。十一不二頌という信念を確立した一遍は賦算という形で布教に成功した。十一不二頌は法蔵菩薩が仏の悟りを得て南無阿弥陀仏になったことと、凡夫が1度の念仏により往生することと同じだということであった。ただし念仏は空念仏でなければならない。それが捨て聖と呼ばれるところにつながる。そして六十万人の頌でその1回の念仏の意味をうたっている。それは、南無阿弥陀仏は1回唱えるだけで仏陀の悟った永久不変の真理を悟る、ということである。踊念仏はそのような思想の上に成り立つものであり、それゆえに融通念仏でもあった。自分の唱える念仏の功徳はすべて他人の功徳となり、他人の唱える念仏の功徳は自分の功徳にもなる。衆生が1度の念仏を唱えることによって、同時に法蔵菩薩も南無阿弥陀仏となるのである。
    踊念仏は自然に喜びを表す表現として踊ったようであるが、それごく自然なことでおかしくはないと思う。
    一遍が念仏に踊りを取り入れた理由には布教を成功させるという意味合いもあったようだ。初めは誰もが踊り形式も特に決まっていなかったものが、後には踊屋まで作り...

    コメント1件

    mioow926 購入
    ありがとうございました。
    2006/09/22 15:19 (18年2ヶ月前)

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