この点については、稲岡耕二氏の「有間皇子」に既に指摘があり、仮定表現を用い、さらに「ま幸くあらば」と表現した点に、有間皇子の悲劇性を認めている。池田氏も「固有な悲劇性を孕む可能性を持った不安定な表現形態」と論じ、実作説の根拠としている。
反論として、長岡立子氏はL歌について「佐渡流罪の折の歌とするのは異伝においてであるにすぎない」として、「(ま)幸くあらばまた(かへり)見む」の仮定表現に悲劇性を認めない立場を取っている。しかし、J~L歌がD歌以降に詠まれたことを考えると、やはり「(ま)幸くあらばまた(かへり)見む」は有間の悲劇を想起させる表現(実作・仮託の如何を問わず)として知られていたはずであり、あえて土地ぼめ・手向けの際に刑死者の表現を用いるであろうか。むしろ穂積老が、流罪の身の不遇を、有間皇子に重ねたために、あえて仮定表現を用い、我が身を慰めたと考えられる。
不遇の身の解放を願い、土地の神に祈りを捧げるものの、そこから逃れるべくもない状態にあることは、有間にせよ穂積老にせよ理解していたことは自明である。「またかへり見む」ことが不可能に近い状況でありながら、土地の習俗にのっとり祈り...