「やさしさ」、「思いやり」といったものは人間の性質の中で欠かせないものであると言っても過言ではないであろう。誰しも他人に優しくされたことがあるはずだ。そのとき決して嫌な気分にはならないはずだ。思いやりの気持ちを持って行動する、決して間違った行動ではない。やはり、「やさしさ」、「思いやり」はなくてはならない人間性の一部であると考える。
そして、誰に対しても平等に「やさしさ」、「思いやり」をあたえることこそ「博愛」と呼べるものであろう。まさに、「博愛」とは太陽のような熱であると考える。太陽は地球上の万物を明るく照らす。その熱は全てに対して同じ温度である。冷めることなく永遠に光りつづけるのである。太陽のような心を持った人こそ博愛者と言われるのではないだろうか。
私はただ単純に「博愛」と言う言葉が好きである。形は様々であるが。なぜならば愛ゆえの行動というのも、また様々であるから。やさしくするだけが愛ではないとか、愛しているからこそ傷つけてしまったり。奪われたくないとか、奪ってやるとか…、愛とはいろいろな感情が出てくる深いものである。だから愛という言葉の使い方もいろいろあり、自分の使い方も正しいのかさえもわからないと思う。
でもやはり、その「博愛」みたいなものが中心に世界は回っているような気がする。それは人間同士に限ったことではない。例えば、食事一つにとっても、米を作るのにどれだけの愛が注がれているか、肉も野菜もそうである。勿論、とりあえず金儲け…という人もあると思う。でも、もしかしたらそれは、親族の方が入院していてお金が必要なのかもしれない。そうしたら、それもまた愛が生み出したお金であったりする。
私がこう考えるようになったのは、あるとき、すごく落ち込んで、精神的にかなり追い詰められたときに、助けてくれた人がたくさんいたから。
倫理学概論レポート
「博愛について」
「やさしさ」、「思いやり」といったものは人間の性質の中で欠かせないものであると言っても過言ではないであろう。誰しも他人に優しくされたことがあるはずだ。そのとき決して嫌な気分にはならないはずだ。思いやりの気持ちを持って行動する、決して間違った行動ではない。やはり、「やさしさ」、「思いやり」はなくてはならない人間性の一部であると考える。
そして、誰に対しても平等に「やさしさ」、「思いやり」をあたえることこそ「博愛」と呼べるものであろう。まさに、「博愛」とは太陽のような熱であると考える。太陽は地球上の万物...