吉田松陰の教育と国体観とその広がり
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◎吉田松陰のパーソナリティ
「相労役」
→中国の儒学者王陽明の「先生と門人が、自然を相手にした生活の中で学習を進め、しっかりした学問を身につけることができる」という言葉より、松蔭は塾生たちとともに「みづから汗を出してはたらくこと」をといて、松蔭も混じって共に米をつき、畑を耕したりすることを重視した。松下村塾の塾舎を十畳半から十八畳半に拡張するときも、塾生に混じって松蔭もともに自力で塾舎を改造した。
松蔭自身も幼い頃に野良仕事をしながら、父や叔父から漢書の素読を教えられた経験をもっていたことにも由来する。
「飛耳長目」
→「耳を飛ばし目を長くして、できるだけ多くの情報を入手して将来への見通し、行動計画を立てなければならない」として、藩政府にも長崎への留学生には飛脚賃を出すべきであるなどして、情報の価値が、量と質、そして速度によって決定することを見抜いていた。
ペリー来航の折も、佐久間象山からのすすめもあり、捕まれば犯罪人となることを覚悟の上でアメリカ船に乗り込みアメリカに...