日本の公的扶助制度の始まりは、1874年に公付された恤救規則であるといえる。公的な救済制度として明治政府が出したものである。親族や住民同士の相互扶助を強調し,救済対象を,助ける者が誰もいない「無告の窮民」に制限している。救済対象者は、①極質の廃疾者,②70歳以上の重病もしくは老衰者,③病気の者,④13歳以下の者,であり,それぞれ独身で労働能力がない場合に限られていた。この内容からわかるように国は救済責任を認めず、恩恵的に行ったにすぎないものであった。
恤救規則のこのような制度的な不備のため、近代的な救貧法規定の必要性が高まり、世界的な大恐慌の影響もあり、1929年に救護法が制定される事になる。対象者は恤救規則のものより拡大され①65歳以上の老衰者②13歳以下の幼者③妊産婦④傷病あるいは身体又は精神の障害により労務を行うのに支障のあるものとされた。しかし、労働能力があるとみなされたものは除外されており、内容は国の救済の責任を認めるものとなっていたがまだまだ十分なものであるとはいえなかった。
第二次世界大戦が終結を迎え、戦争による被害のため、生活に困窮する人たちの救済が急務となり、1...