課題
労働組合の諸行動に対する法的承認は、どのような過程を経て実現するに至ったのか。ま
た、それを踏まえたとき、わが国における「労働基本権」の保障(憲法 28 条)の意義はど
のように理解されるべきか。
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わが国の資本主義は西欧に比べて 100 年近く遅れて出発した。そのため、労働運動の展
開や労働者保護立法の制定も遅れ、しかも変則的な発展を示すことになった。わが国の本
格的な労働運動は明治 30 年代に始まったが、それは当時制定された治安警察法などにより
徹底して弾圧された。大正年代には、労働総同盟のような全国組織が結成され、労働争議
も多発したが、結局は戦時体制への移行に伴って労働運動は消滅した。一方、労働者保護
立法に関しても、1911 年至ってようやく工場法が制定されたが、内容的には低水準のもの
であった。その後、ソーシャルダンピングについての国際的非難もあって工場法の改正が
なされ、商店法の制定や、災害扶助制度、職業紹介制度の整備もなされたが、結局、成人
男子労働者を含む一般的な労働者保護立法の制定はなされないまま、戦時体制に移
課題
労働組合の諸行動に対する法的承認は、どのような過程を経て実現するに至ったのか。ま
た、それを踏まえたとき、わが国における「労働基本権」の保障(憲法 28 条)の意義はど
のように理解されるべきか。
--------------------わが国の資本主義は西欧に比べて 100 年近く遅れて出発した。そのため、労働運動の展
開や労働者保護立法の制定も遅れ、しかも変則的な発展を示すことになった。わが国の本
格的な労働運動は明治 30 年代に始まったが、それは当時制定された治安警察法などにより
徹底して弾圧された。大正年代には、労働総同盟のような全国組織が結成され、労働争議
も多発したが、結局は戦時体制への移行に伴って労働運動は消滅した。一方、労働者保護
立法に関しても、1911 年至ってようやく工場法が制定されたが、内容的には低水準のもの
であった。その後、ソーシャルダンピングについての国際的非難もあって工場法の改正が
なされ、商店法の制定や、災害扶助制度、職業紹介制度の整備もなされたが、結局、成人
男子労働者を含む一般的な労働者保護立法の制定はなされないまま、戦時体制に移行した。
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