広く諸外国の古典文学などに各々の神話や宗教的要素がしばしば見られるように、万葉集にもまた日本の神話が大きく影響しているようだ。それは作品そのものに神が登場するというものではない。人々の生活の中に当然として神話の存在が反映され、それらが歌へ反映することで分かるのである。中でも注目したのは、恋愛である。
恋愛を歌うものを読んでいく上で気付くのは、やたらと逢い引きにおいて人目を憚り、夜になると男が愛しい人の元へ出かけることである。万葉集の時代、結婚とは主に妻の元を夫が訪れるという形式「通い婚」であった。何故このような形式が取られたのだろうか。
(あ)「朝去きて夕は来ます君ゆゑに ゆゆしくも吾は嘆きつるかも」(巻十二より)
この歌から分かるように、男は朝去り、夜訪れる。逢い引きをするのは夜に限るという当時の習慣が窺える。またそれだけではなく、この(あ)にある「ゆゆしい」からどうやら神話の関係が窺えるのである。「ゆゆしい」とは、広辞苑によれば「神聖であるから触れてはならない」、また、「忌まわしい、不吉」という意味である。
万葉集・神話と逢い引き
広く諸外国の古典文学などに各々の神話や宗教的要素がしばしば見られるように、万葉集にもまた日本の神話が大きく影響しているようだ。それは作品そのものに神が登場するというものではない。人々の生活の中に当然として神話の存在が反映され、それらが歌へ反映することで分かるのである。中でも注目したのは、恋愛である。
恋愛を歌うものを読んでいく上で気付くのは、やたらと逢い引きにおいて人目を憚り、夜になると男が愛しい人の元へ出かけることである。万葉集の時代、結婚とは主に妻の元を夫が訪れるという形式「通い婚」であった。何故このような形式が取られたのだろうか。
(あ)「朝去きて夕は来ます君ゆゑに ゆゆしくも吾は嘆きつるかも」(巻十二より)
この歌から分かるように、男は朝去り、夜訪れる。逢い引きをするのは夜に限るという当時の習慣が窺える。またそれだけではなく、この(あ)にある「ゆゆしい」からどうやら神話の関係が窺えるのである。「ゆゆしい」とは、広辞苑によれば「神聖であるから触れてはならない」、また、「忌まわしい、不吉」という意味である。
他の歌を見てみても逢い引きはほぼ決まっ...