はじめに
「切腹」は、国内外を問わず、しばしば“日本独自の文化”と言われ、恐れられ、不可解とされている。「切腹」は、その方法の残忍さや、行為に及ぶ「勇敢さ」などから、美談として多く語り継がれている自殺方法である。このような「切腹」は日本社会において、どのような行為であったのだろうか。「切腹」という行為は、言うまでもなく自ら死を選択する行為の一つであるが、自らの腹部に刃物を刺してそれを達成するまでもなく、自殺にはもっと多くの方法があり、またそれは「切腹」が行われていた過去においても当然存在したであろう。しかしそれにもかかわらず、日本人、特に社会的地位の高い男性に「切腹」という自殺方法がみられるのだろうか。
その「切腹」という自殺の意味するところを、「切腹」の行われていた時代に即して考察すること、またそれと、社会学による自殺研究の原点ともいえるデュルケムの『自殺論』における「集団本位的自殺」との関連性について論じていくことが、本論の目的である。まず第一章において、自殺方法としての「切腹」の発祥と、その様式が広まる過程を大まかにまとめる。そして第二章において、各時代ごとの「切腹」の行為者における意味を、「集団本位的自殺」との比較からそれぞれ考察する。
第一章 「切腹」の歴史
神話から源平合戦まで
「切腹」の始まりがいつのころなのか、という議論は歴史学上でも様々な議論を呼んでおり、その発生の起源については明らかではないが、『播磨国風土記』には、腹辟沼(はらさきぬま)という条において、切腹という文字は使われていないものの、その様式は確かに切腹といえる自殺方法をとっている話がある。これは神話上の物語であり、その大意は花浪の神の妻である淡海神が夫婦のいさかいから沼のほとりで腹を切って死ぬ、という内容であり、ここでは一般に想像しやすい男性の名誉のための死という意味合いは含まれていない。
社会学原典購読Ⅱ レポート
日本における「切腹」の歴史的変遷
はじめに
「切腹」は、国内外を問わず、しばしば“日本独自の文化”と言われ、恐れられ、不可解とされている。「切腹」は、その方法の残忍さや、行為に及ぶ「勇敢さ」などから、美談として多く語り継がれている自殺方法である。このような「切腹」は日本社会において、どのような行為であったのだろうか。「切腹」という行為は、言うまでもなく自ら死を選択する行為の一つであるが、自らの腹部に刃物を刺してそれを達成するまでもなく、自殺にはもっと多くの方法があり、またそれは「切腹」が行われていた過去においても当然存在したであろう。しかしそれにもかかわらず、日本人、特に社会的地位の高い男性に「切腹」という自殺方法がみられるのだろうか。
その「切腹」という自殺の意味するところを、「切腹」の行われていた時代に即して考察すること、またそれと、社会学による自殺研究の原点ともいえるデュルケムの『自殺論』における「集団本位的自殺」との関連性について論じていくことが、本論の目的である。まず第一章において、自殺方法としての「切腹」の発祥と、その様式が広まる過程を大まかにま...