福音書にはイエスの生涯が描かれている。しかし、その成立過程を見ると必ずしも福音書がイエスの歴史的実像を描いているとはいえない。聖書の歴史性を問題とするならば、歴史的事実とはいえない福音書を読む意義はないのではないかと思われる。例えば歴史の教科書の内容が間違っている、もしくはまったく根拠のないものに基づいて書かれていたとしたら大問題である。ではなぜ、今日、世界中の人々が聖書を読んでいるのだろうか。福音書を読む意義はどこにあるのだろうか。
私は小さな頃から、教会学校に行っていたので、聖書に対しての違和感や嫌悪感といったものはなかった。しかし、その反面、聖書が史実であるとかといった事には無関心であった。子どもの頃は、私にとって聖書の話はイソップ物語などと同じ一つの物語でしかなかったし、イソップ物語や絵本を読むときに「この話は作り話でうそなんだ」と思いながら読む人はいないだろう。私の部屋にはイソップや日本の伝統的な絵本などと一緒に聖書や聖書の中の物語の絵本が並んでいた。
私が、福音書を自分で読んだのは高校生の時であった。通っていた教会の高校生会に出席した時に、牧師主導の下、一つの聖書箇所...