50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。
京都市が全国に先駆けて同和教育費を予算化したのが、1952年度であった。ここで言う同和教育は同和地区児童・生徒の長欠・不就学の解消に向けた奨学奨励事業であり、差別をなくすと言うものではなかった。この事業は10年後の1962年度の長欠同和地区児童・生徒を小学校では6.5パーセントから2.8パーセントへ、中学校では28.7パーセントから5.1パーセントへと長欠児童・生徒の減少に成功した。しかし、京都市全体と比較すると改善されていなかった。そして、同和教育費の予算は年々増加し、学習が遅れている同和地区児童・生徒に対して教員が有志で行っていた補習学級が同和教育施策となった。また、1960年代に入ると、高校進学率が京都市水準の50パーセント以下であるという格差にも目が向けられた。つまり補習学級が
人権(同和)教育 第1設題
(1)
設 題
50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教
育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方
を具体的に論述すること。
京都市が全国に先駆けて同和教育費を予算化したのが、
1952年度であった。ここで言う同和教育は同和地区児
童・生徒の長欠・不就学の解消に向けた奨学奨励事業で
あり、差別をなくすと言うものではなかった。この事業
は10年後の1962年度の長欠同和地区児童・生徒を小学
校では6.5パーセントから2.8パーセントへ、中学校で
は28.7パーセントから5.1パーセントへと長欠児童・生
徒の減少に成功した。しかし、京都市全体と比較すると
改善されていなかった。そして、同和教育費の予算は年々
増加し、学習が遅れている同和地区児童・生徒に対して
教員が有志で行っていた補習学級が同和教育施策となっ
人権(同和)教育 第1設題
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た。また、1960年代に入ると、高校進学率が京都市水準
の50パーセント以下であるという格差にも目が向けら
れた。つまり補習学級が成果を上げていなかったので...
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