学習指導要領の変遷について。
戦後、民主主義を日本に定着させる必要性を自覚した文科省は、戦前からの教育課程に自ら着手する。昭和21年に日本国憲法が発布され、その下で昭和22年教育基本法が制定される。そして新教育木方法及び学校教育法の公布と並行して、昭和22年3月に「学習指導要領一般編(試案)」という最初の学習指導要領が制定された。小学校の教科で着目すべきは、修身・歴史・地理の代わりとして「社会科」が新設されたこと、及び「家庭」と「自由研究」が新設されたことである。社会科に関しては、単に修身・歴史・地理を量的に一括しただけでなく、民主主義的な社会形成のための良識や性格を一人一人が身につけるべく設けられた。家庭科に関しては戦前の「家事科」の流れを汲むが、男女共学の理念の下で女子だけでなく男子にも課せられた。自由研究は児童の個性を尊重し、児童一人一人の能力を伸ばすことができるように柔軟に対応するべく設けられた教科である。この最初の学習指導要領は、欧米で行われたコース・オブ・スタディを参照に経験主義のもと作られたものであるが、この時点ではあくまで教員の手引書扱いにすぎなかった。そして「勅...