設 題
50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。
1945年、太平洋戦争に敗れた日本はGHQの主導のもとに国家の建設に向けて歩みだし、1947年5月に「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」を三大原則とした日本国憲法が施行された。特に14条では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と謳われた。この「社会的身分」という文言によって、政府は被差別部落の人々が差別されないという理念を明文化した。「同和教育」は、まさにこの理念の実践化といっても過言ではない。
戦後の京都市における同和教育施策は、同和地区児童・生徒の長期欠席・不就学の取り組みに始まる。オールロマンス事件当時の長欠児童・生徒数は、小学校で京都市0.6%に対し同和地区6.5%、中学校では京都市2.8%に対し同和地区28.7%となり、どちらも京都市平均の10倍となっていた。それが長期欠席・不就学の取り組みによって、10年後の1962年度の長欠同和地区児...