終末期を迎える人は、老衰による身体機能の衰えや疾病の進行により徐々に基本的な日常生活を自らの手で行うことができなくなる。それにつれて、その先にある「死」そのものよりも「家族の重荷になるのではないだろうか、自分にはなんらかの価値があるのだろうか、何かを成し遂げてきたのだろうか」といった精神的な苦痛を抱きやすくなる傾向にある。また、苦痛を感じているのは患者本人だけではなく、その家族や周囲に関わる人も苦しんでいることを念頭に置かなければならない。
死と終末期にある患者の援助
終末期を迎える人は、老衰による身体機能の衰えや疾病の進行により徐々に基本的な日常生活を自らの手で行うことができなくなる。それにつれて、その先にある「死」そのものよりも「家族の重荷になるのではないだろうか、自分にはなんらかの価値があるのだろうか、何かを成し遂げてきたのだろうか」といった精神的な苦痛を抱きやすくなる傾向にある。また、苦痛を感じているのは患者本人だけではなく、その家族や周囲に関わる人も苦しんでいることを念頭に置かなければならない。例えば、認知症やアルツハイマー病は、先の見えない介護の末に死を迎えることが多い。介護に関わった家族は、それらの疾病の末期における死へのプロセスを、生きたままの葬式のようだと例えることすらあるという。その死の瞬間は、長い介護の負担からの開放ではなく、やりきれない介護の終わりとして負担を伴うことが多々ある。終末期の患者の死がある程度予測されていたり、終末期の苦しみが死に近づくにつれ軽減されることによって家族の苦しみを和らげてくれたりしても、その人が死ぬ時に感じる最終的な悲しみは決して無くなることがない。私は死を考えるにあたっ...