日本の考古学界のその後

閲覧数1,955
ダウンロード数1
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    はじめに
     私は前期に、『日本考古学史』111ページ~124ページの「8.弥生式土器の発見と人類学会の創立・1.考古学の一般の動向(1)―三宅米吉の『日本史学提要』・2.考古学の一般の動向(2)―考古学会の創立」についてレポートを作成し発表を行った。その中でも、「2.考古学の一般の動向(2)―考古学会の創立」の項目が目を引いたため、今回「日本の考古学界のその後」と題して、処々の組織の成立とその成果を調べて纏めてみようと思う。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    日本の考古学界のその後
    はじめに
     私は前期に、『日本考古学史』111ページ~124ページの「8.弥生式土器の発見と人類学会の創立・1.考古学の一般の動向(1)―三宅米吉の『日本史学提要』・2.考古学の一般の動向(2)―考古学会の創立」についてレポートを作成し発表を行った。その中でも、「2.考古学の一般の動向(2)―考古学会の創立」の項目が目を引いたため、今回「日本の考古学界のその後」と題して、処々の組織の成立とその成果を調べて纏めてみようと思う。
    考古学界の始まり(明治年間)
     日本で初めての考古学の学会、すなわち考古学会が設立されたのは1895(明治28)年のことである。考古学会は、人類学会から分派した組織である。考古学会発足当時、人類学会は会員200名を擁し、機関誌も100巻を超える大きな集まりとなっていた。その会員の中には、人類学本来の研究よりも考古学的研究に関心を寄せる者も多く、ともすれば人類学と考古学を同一視する考え方を持つ者までいた。こうした状況を憂いたは、それまで人類学として混同されてきた処々の学問を明確に分化する必要があると説き、しかも考古学的資料の研究は石器時代と古...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。